蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

ここは空気が薄いんだ

※なんか長文です。
組合の合同委員会あり。明日は団交ゆえ、単組の意見収集もかねて開く。会社側に向かうときは対峙する緊張感があるが、この場では深い疲労感がある。いや、閉塞感か。
ここは空気が薄いんだ。みんなの声が聞こえないんだ。でもみんなそんな山の頂に立ち、となりにいるお互いを見失っているだけかもしれないんだ。
……などと80年代の青春小説のようなことを思わず考えてしまうくらい疲れた。尾崎歌うぞゴラァ!って俺に突っ込んでみる。
正直に言おう。今期はまったく何も期待してません!1ヶ月で妥結!みな素直に諦めろ!
いうこともやることもないのに集まって不健康な時間を共有するならそういう場を持つのはもう止めたい。などと思ってしまうほどやる気のないヲレ。やる気のなさに責任感を感じるほどいい人ではないが、じっと黙って時の経つのを待っているように見える委員たちの顔を見ていると辛い。己の無能さを糾弾されているような、自意識過剰なヘタレっぷりである。ああ憂鬱。
でも、きっと一人一人飲みながらとか話したら、いろいろ考えているんだよな。なんか、それをうまく出せない会の運営で、申し訳ないような感じだ。単組全体の意見を聞く拡大職場集会も、全体の前に意見は埋もれ、いつものメンツの演説会になる。もういらないように思う、そんな場は。
労使の関係と責任をすっきり切り分けて、合理的に交渉をしたいが自分にそんな能力はない。それはまた理想で、切り分け自体がうまくできない。なぜか? 使役側はトップに明確なビジョンがなく、施策もなく、感情論に走ってしまうからだ。自分たちの問題を切り分けられるほどマチュアでない。労務側は会社に働きかける熱を失っている。それに、どうも自分達の要求に妥当性を感じていないように思う。根拠のない数字。根拠のない日程。アンケートをとったら交渉に立つ中央委員にやる気がないのではと言われたが、その通り。額についてはあきらめている。もうそうは上がるまい。上がらないなりに上げてもらう気はあるが、アメリカンに過剰な正義感も闘争心も持っていない。少なくとも俺にはない。
今の労使は悪い意味で協調している。労使間が疲弊している。醒めた夫婦のように。だらだらと続く日常。あきらめつつも、とりあえず形を持って継続する家庭にもたれるだるい快感。より強い刺激、より明るい未来、そうしたものを外に見てしまったらば、この家庭は容易く崩れるかもしれない。(自分もこの夏は会社を出るつもりだった。いまでもチャンスは狙っているが。)そこまでいく前に、浮上できないと、この会社は本当に不幸な目に遭うと思うが、それはおいらのペシミズムだろうか。
船頭は舵を取らずに漕ぎ手にもっと力強く漕げと声を上げるが、むち打つほどの自身はない。きっと陸につけてみせるから一緒に頑張ろうと言うが、その手は舵を離れたままで、たまにそれに触れると押したり引いたりしてみせる。漕ぎ手は漕がねば沈むのでとりあえず漕いでいるが、自分たちが向かう先は見えない。一生懸命に力をしぼっても何処へ着くというのか? いや、既に目的地自体を忘れているかもしれない。俺たちはどこに行くんだ?
会社の業績が悪いことは火を見るより明らかで、その上でどの面下げて無邪気な要求をすればいいのか。なんて、会社のダメダメさを改善する前に、まず自分の深いあきらめをなんとかしたい。サンバディ・ライト・マイ・ファイア・プリーズ! カリスマとかそういうのは大嫌いだけれど、今ヲレに必要なのはそうした牽引力+それを裏付ける能力をもったリーダだ。父ちゃんついていくよってなもんで、そういうオヤジが会社には必要なのだ。(別にオカンでもかまわんが。)ああチクショウ燃える仕事なんてずいぶんしてないぜ!
てなわけで、明日は団交である。目指せヶ月1ヶ月。しょぼいなぁ。