蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

関係性

家の近所に気に入った電信柱がある。カメラを持っている時は写真を撮ったりもする。今朝もその柱を見て「いいな」と思った。しかし考えてみたのだが、僕はその柱を欲しいとは思わない。さらにそのすぐそばの公園の遊具、スプリングの上に動物が乗ったもの、も好きなのだが、やはり欲しいとは思わない。たぶん僕はそのものとそのもののありかた、まわりのものや場との関係性込みでそれらを好きなのだと思った。
先日あるシンポジウムで、語の意味は語単体が持っているのではなく、語を使用する社会全体が保持し決定しているという話を聞いたのだが、なにかそのようなことに似ている。周囲のものから切り離された「もの」にはもうもとの意味はなくて、デュシャンの「泉」などそういうことなのだなあとぼんやり思う腹の重たい朝なのだった。