蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

晴れ後曇りな気分、♪フィ〜リィ〜ン

朝から朝霞へ印刷立会いに。色々とうまくいかずようやく責了にこぎつけた物件。工場はいい仕事をして、ほぼ満足のいく色を出していてくれる。シートの乾燥機でドライダウンも確認、乾いた状態で校正刷りの再現にいたることを確認、ゴーを出す。気持ちよく帰社。夕方、件のシートを確認するも、妙に薄い。どうやらドライダウンの影響。紙が吸って薄くなっている。網の再現が不安。全体の雰囲気はいいのだが。用紙が厚いため、読みきれなかったか。そこまで読めない経験の無さとか勉強不足とかお気楽さというか、まぁ自分が至らないわけで一気に暗い気持ちになり、アキバで憂さ晴らしを、と思うも、アキバの街もくすんで見える。一人ヲタク臭の濃いアキバをさまよい、帰宅。しかし、土曜のアキバってホント、野郎の臭いで充満。夏はいかんな。街角に冥途喫茶の呼び込みのメイドさんが増えたが、一様に黒いワンピースに白のフリルつきエプロン、そしてカチューシャというのは、様式美なのかもしれないがコスプレの域を抜け出せず、そのうそ臭さに辟易。偽者は嫌いなのさ。だからコスプレも苦手。萌え華やぐことも無く去るアキバの街であった。
さて家に帰ったらみんな寝静まっていて、冷蔵庫から発見したそうめんと茹で豚を焼酎とともに頂く。最後に残していたガンダムシード・デスティニーのDVD13巻を見る。マイキに最終話は飛ばしてまず映像特典に入っている最終話のスペシャル編を見るようにといわれていたので、「レイ」の次はスペシャル版を。染み入る台詞が多く、酔っ払っていたり、ブルーだったりで目に涙してガンダムを見る。アホか。でもグラディス艦長とかね、トダカ一佐とかね、まともな大人はみんなガキの犠牲になって死んでいくのね。それだけ、命がけで責任を取れる人たちが象徴的に消費されるわけで、物語の必然かもしれないけど寂しい。策士デュランダルが最後になって負けず嫌いな子供大人だったことが分かって、少しだけ人間っぽいところを見せてくれたのは良かったか。しかし振り回された周りは溜まらんぞ。まじめ馬鹿のイザークが律儀に怒っているのはほほえましかった。人生損するタイプだよなぁ。
憎悪の連鎖から、自由の為の明日への闘いへ、焦点はシフトされて終わったわけだけど、結論の出ようの無い話なので、正直どうまとめるかには興味があった。自由の為に戦う、っていうとどっかの大国みたいで気持ち悪いところもあるけど、そこにオーブというまぁこれは日本か、専守防衛の理念をからませて抑えたところが、日本のアニメ。いけいけどんどんで正義を頒布しないのは好ましいけど、作中で何度もキラが批判されていたように、状況をかき混ぜて責任をとらないようにも見えて微妙なところだと思った。最後、結局キラは引き金を引かなかったわけで、これは「バトル・ロワイヤル」のラストを思い出させた。映画版では、主人公七原が自分だけ誰も手にかけない安全圏で終わることを深作監督は赦さず、七原にビートたけし演ずる担任教師を撃たせる訳だが、デスティニーでも、最後はキラに撃たせるべきだったのではないかと思う。そうすることで彼の台詞、「覚悟は出来ている」が生きてくるはずなんだけど...。まぁ、キラはシード前半でかなり暴れているわけで、いまさらそれもないか、ということもあるわな。死の寸前までデュランダルに縛られていたレイは哀れだけど、最後に「親離れ」して、かつ和解も出来たのかな、と思った。男は駄目だね。最後はみんな女性にいいところもっていかれちゃうのよ。だらしないね。子供だね。
というわけで、