蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

彼自身の非力な女中まで手込めにする男、さえも

デュシャントリビュートなタイトルを付けてみたが、話題は美術品である。被造物とその作者の関係について、不思議に思う。というのも、北大路魯山人という男がキリンビバレッジの新製品の広告に出ているのだが、その傍若無人な顔を見てこの男がレイピストであることを思いだし、その上で、何でこんなおっさんからああいう作品が生まれてくるのか、人間の品性と創作物とのある種の無関係さ、また、品性などというもの自体が、実は相対的で不安定な価値観であることを思ったりしたのだ。美しいものへの感性があるからといって、その人間の行動が美しいとは限らないし、また、その行動の判断基準ですらが、時代時代であまりに違うため、公正な評価な
どそもそもありうるのだろうか、という疑問を内包している。そこから考えるに、まだ美の方が時代を超えた価値観を持つのかもしれない。少なくとも、長い期間の評価を得られるのは思想よりも多くの美術品達であると思う。