蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

ヌル・アンチ・エスタブリシュメント

メインフレームへのアンチテーゼとして定義されたパソコン。スーツ姿で固めたビッグブルーのIBM社員に対し、長髪、Tシャツにジーンズのアップルやマイクロソフトの社員。でも現在では、世界中の大企業が当たり前のようにPCサーバーを導入している….

音楽の世界でもコンピューターの世界でもすでにイスタブリッシュメントとなった存在が、いまだに反体制との印象を保っているのはなぜだろう?あるいは私がそういう印象を持っているのは、私の年齢ゆえの限界だろうか?今時の若い人たちは、何をイスタブリッシュメントと定義し、自らをどう定義づけているのだろう?

E.C.やPCはすでに反体制のイメージを失っていると思うが、どうだろうか。
PCといえばMicrosoftが今やそのイメージの筆頭にあると思うが、MS社はかつてのIBMを凌ぐ超国家級の企業と化しているわけで、エスタブリシュメント*1としてのイメージを明確に持っている。彼等がどっぷりとスーツとネクタイのビジネスの世界に浸かっているのは今のAppleの広告を見れば明確だろう。そこにはヒッピー世代のイメージはもう残っていない。
E.C.にしたところで、もともと反体制というよりは体制からドロップアウトしているわけで、アンチというイメージでないし(ソロ以前のE.C.には確かに体制にあがなう何かがあったが、ソロ以後は反体制という積極的な政治的なイメージを持った位置にはいなかったはずだ。彼はアウトローではあっても、アンチ・エスタブリシュメントではなかった)、まして今、なにか体制にあらがうイメージをもっているかというと、これは皆無だろう。積極的に体制側か、といわば、そんなイメージもまるきりないが。
この記事は、アメリカという特殊な場所にいるからこそのもので、日本にいる限り、そもそも体制/非体制という意識を持つ事自体が今は稀だと考える。そういう(きわめてアメリカ的な)二項対立の概念は、団塊の世代が積極的に影響されて持っていた概念であって、その後のしらけ/バブル等の世相を超え、オタクが市民権をもつような今、あまりリアルな概念では無くなっているのではないか*2
アメリカにいれば、共和党と民主党の対立という形のように、おそらくエシュタブリシュメント層とアンチ・エシュタブリシュメント層という構図はまだそれなりのリアリティがあるのではないかと想像する。「反体制」という肩書きがまだ何らかの意味を持っているのだろうから。しかし日本では、自民党と民主党のように、対立する政党だって結局は両方とも体制側であり、反体制としてのリアリティを有する政党など存在すらしない*3
反体制というような、甘い危険な匂いは、もう(日本では)流行でないのだ。
Appleは企業戦略として非ビジネス(に見える)路線を選択し成功していると思うが、しかしだからといって反体制という積極的なイメージはない。かつてBIG BLUEへのアンチ・テーゼとしてのMacを打ち立てたあの1984年のような革命的なイメージから、いまAppleが目指しているのは、もっとカジュアルで創造的な企業イメージであり、ほぼ成功しているだろう(もっとも、Jobsあたりは、今でもよろこんで"revolution"というだろうが、それは体制に対する革命ではなく、無二をめざす革命だろうから)。たとえばMS社に鎚ふるうAppleのイメージを今、誰か持っているだろうか。そんなものは、IBMのCPUがMacに搭載され、サーバ機が量産され、さらにはIntelのCPUまで搭載するに至っては、もはや何処にもありはしないのだ。
また旧来の体制を代表するようなメインフレームが今、何らかの権威であるかというと、今の若者はメインフレーム自体を知らない可能性すらある。体制という概念自体が明確でないのだ。
それほどに世界が体制に囲まれている、という見方も出来るだろう。反体制のイメージを持つが、実はエスタブリシュメント、などという段階ですらない。エスタブリシュメントは巧妙にそのエスタブリシュメントとしての姿を隠していると言ってすらいいと思う。思い出してみよう、AppleがG4を発表したとき、それが兵器として政府から認定され、Apple自身戦車を起用したCMを作っていたことを。昔の、「反体制」のイメージを持ったAppleであれば考えられないような広告だが、それですら強い波風を立てずに忘れ去られるような世の中なのである。
絞り染めのTシャツを着て、Greatful Deadに酔っていた時代、ハシシとセックスとロケンロールな時代はとうに終わったのだ。その余韻を引きずって自らの青春から抜け出せない人たちがいるのではないか。「反体制」の甘やかなイメージに浸って、反体制を滅ぼしてしまったのではないか? 村上春樹の小説で述べられるように、昨日まで反体制を叫んでいた連中が、春休みを終えると素知らぬ顔をしてバリケードを崩し授業に復帰して、そのまま卒業して「体制」になっていったのだ。いまや反体制自体が虚像だ。もうとっくに滅んでいる。エスタブリシュと認識されずにエスタブリシュであるものたちよりも、エスタブリシュであることを自覚できずエスタブリシュであるものの方が問題だろう。

*1:三省堂「デイリー新語辞典」によれば:既成の秩序・権威・体制。支配体制。権力や支配力をもつ階級・組織

*2:オタクを否定するものでも、馬鹿にするものでもないが、オタクは政治的な世界からすればやはりいささかアウト・オブ・ワールドだったはずだ

*3:共産党にいまそこまで尖ったイメージと力は今ないだろう