蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

失うこと

いよいよ週末実家の引越しの予定。しかしここへ来て父に引越し先の部屋を購入する資金が無いことが分かる。投資で運用していた口座の残高確認を父任せにしていたようで、義母はノーチェックだったようだ。実家の売却は決まってしまっているので続行、引越し先は違約金を払って購入中止。実家の荷物はどこか倉庫に預けるという。いずれにせよ実家は週末には空けなければならない。こういう形であの家と別れることになるとは、なんとも、悲しい。
父に現実処理能力が無いことは義母にも十分わかっていると思っていたのだが、どうやら彼女には父の状態への過度な期待があるというか、現状を認めたくない気持ちが強いのではないかという気がしてきた。年末に父が倒れてから、義母はこれまでの彼との生活を取り戻すべく、必死なのだと思う。結婚していながら、仕事の関係で父とほぼ別居という状態だったので、父が倒れたときには、相当なショックと自責の念があったと思う。だからその後、入院中も退院後も、ほぼ隙無く父と時間を過ごしている。義母の会社は色々とむずかしい局面にあり、近年、特に去年後半から義母は色々と走り回っていた。そうした厳しい状態の中で父を抱えたまま過ごすことになっている。義母には父と仕事、どちらも切ることのできない意地があるだろう。しかし、それもそろそろ限界だと思う。意思の強い人だから、踏ん切りがつくまでは多分何を言ってもダメだろうと思い見守ってきたが、ようやく、何とかする気になってきたらしい。今後の生活の為、仕事を切るときが来ていると思う。自分の会社を整理するというのは、育ててきた子供を手放すような苦しみがあるのではないだろうか。しかし二兎を追うものは一兎をも逃すという。もう潮時だと思う。
明日、実家にダンボールが着くという。誰もいないと家の前に置きっぱなしになってしまうので、僕の荷物を回収しがてら家の中に運び込んでこようと思う。夕方に義母のところに行き、今後のことを少し相談してくる予定。父があまり落ち込んでいないといいのだが。今度のことは父にとっても悲しい結果になってしまった。年をとり、病気をするというのは、こういう風に何かを失っていくことなのだと遣る瀬ない気持ちだ。しみじみと失うということについて考えさせられる。