蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

これが食わずにいられるか?

僕は今34だが、このくらいの歳になると好きなものにぶれがなくなる。つまらない気もするが、多少は安定しなければ大人になった甲斐がない。いや、やっぱりそれはつまらないことか。
それはともかく。ユリイカ米澤穂信特集に引っ張られて彼の小説を読み返している。一昨日までは「春期限定いちごタルト事件」、昨日から「夏期限定トロピカルパフェ事件」。どちらも連作短編集だが、だんだんと緊張、というか不安の度合いが高まっていくのがうまい。小賢しく知恵が回る主人公はその小賢しさ故に失敗をして、同じく復讐をなによりの楽しみとしつつそれを自ら諫める少女と共に小市民たることを目指す。しかし、二人の前に次々と事件は起きて、それぞれ隠し切れぬ狐狼たる本性を露呈してしまう。その都度に反省し小市民たることを改めて誓い合う二人だが、少女の言動はだんだんと主人公の予期せぬものとなっていく。
小賢しさを賢しさに変える努力をすればよいものを、友人に「腹に一物持つ」と言われてしまういやらしさを身につけてしまうあたりがまさしくヤングアダルト。腹に一物あると言われるようでは、周囲には丸分かりな訳で要するにはだかの王様なのだが、本人はそれで痛い目に遭わなければ気付くわけもなく、着々とその見えないガウンをはぎ取るべく仕掛けられる作者の罠が恐ろしい。
同士と信じた少女が見せる変化、じわじわとこぼれ見える少女の本当の顔が不安なわけで、その不安が最高潮を迎えるのが今読んでいる二巻目のラスト。続刊(今夏発売か)が待たれるのであるが、それはさておき。
いや、ここまでだらだら書いてきてさておくのかと心の中でつっこむ声が聞こえるが、ちょうど読み終えた中盤の短編「激辛大盛」にやっぱり引っかかる自分を見て、好みにぶれがないと感じた次第。ラストに主人公の友人が言う台詞、「これが食わずにいられるか?」が大好きで、この短編集一の名台詞だと思う。べたべたの台詞ではあるのだが、そうだ、そのとおりだ、と力強くうなづけるものがある。この一直線な友人、つまり主人公の正反対を目指したキャラは、確かに暑苦しいのだが実にいいことを言うのだ。まっすぐさの強さはまさに曲がらないバカ正直さと、曲がることを知らない無邪気さにあるが、そうは言っても時には挫折するわけで、件の台詞になるわけだ。
さあ、後は後半、推理の高揚の後にどんでん返しが待っている。ここからが山というわけで、ジンライムは用意した。こいつを片手に、読書に戻ることにする。

...というわけで読了。やはりうまい。終章の二人の壊しかたがうまい。まさに、傲慢な高校生が二人。傲慢な、と自分で言っておきながら、その傲慢さを認める傲慢さに気付いているのか、気付いていないのか。傲慢な高校生という枠に自分を貶めて自分を納得させてしまう傲慢さ。この二人の、妙な諦めの良さが歯がゆく、いらいらする。納得している場合ではないだろう。関係を解消させている場合ではないだろう。僕には分からないな。そんなに簡単に、手放せるものなのか? ルールを優先できるものなのか? ああ、腹立たしい。
今夏、続編が発表されるとの噂がある。シリーズ構成から言えば、「秋」「冬」と二本だが、話の流れから言えば次がラストでいい*1(ファンとしてはえんえん続いて欲しくも思うが、引き際はある)。いちごタルト、トロピカルパフェと来たからには次は栗*2だろうか。王道から言えば、常悟朗をもう一度挫折させ、ゆきが暴走しなければいけない。しかし、ゆきはより頑なになり、常悟朗はより間抜けに小市民を目指すだろう。あいかわらず、はだかの王様のままで。やはり救い主は激辛大盛の健吾しか考えられない。常に悟ったつもりの馬鹿よりも、健やかな吾をもつ男が勝つのだ。っていう話になるのかな。ならないだろうなぁ。でも、お互いに傷を舐めあってたら、ゆきが悟ったように、先へは勧めない。ゆきが暗い喜びに浸っているときには、馬鹿野郎! と叱ってくれるタイプ、つまり健吾が必要なんじゃないの? 常悟朗も認めてる場合じゃないだろう。やっぱり、馬鹿野郎! と唐辛子を目に突っ込んでくれるぐらいのキャラが必要なのだ。そうなると、救い主は健吾以外に考えられない。あるいは、古典部シリーズに見るように、このあたりでお姉さんキャラが出てくるのか? となると、健吾姉か。いやはや、続巻が待ち遠しい。でも、夏なんて、もうすぐだな。

*1:次は幕間になるそうで、やはり綺麗に「冬」で完結する様子。そうか、幕間という手があったか...

*2:米澤穂信のサイトで確認したところ、次は『秋期限定マロングラッセ事件(仮)』とのこと。やっぱり秋は栗だよなぁ。