蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

島泰三『安田講堂1968-1969』(中公新書)を購入、読みながら帰ってきた。
前に書いたこともあるが、学生運動というものがまだピンと来ない。当時のことを書いた本を読むことで、個人的な思いを感じられても、彼らが何を求めていたのかがどうも腑に落ちないのだ。
一つには彼らにとって運動の目的と意義があまりに自明なものなので、うまく説明できていないということがあるかもしれない。ちょうど、パソコンのマニュアルが何を言っているのかよく分からないように。
また今一つには、読み手である僕の方が、あまりに価値や正義に対して醒めて、或いは諦めていて、彼らの目指すところのものや情熱に懐疑的で最初から理解を拒んでしまっているのかもしれない。
ただ一つ感じることは、もし自分があのときあの場にいたら、多分喜んで運動に、というかその集まりに加わっていただろうという予感だ。時分がその運動に命をかけるだけの甲斐性をもっていないことも分かるから、これはつまり最悪の同調者だろう。裏切るのはこういう人間である。
とにかく、当時のことが分からないのだ。島さんの本はその理解の端緒となりそうな気がする。僕をどこに連れて行ってくれるだろうか。