蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

膚の下(下)(神林長平/ハヤカワ文庫)

★★★★★
満点の五つ星。『あなたの魂に安らぎあれ』『帝王の殻』に続く火星ものの第三弾。おそらくはこれでシリーズ完結だろう。思えば『あなたの魂に安らぎあれ』から神林を読み始めたので、約20年、読み続けてきたことに。感慨が大きかった。
その時々に読まれるべき小説というものがあると思うが、これはまさに読まれるべき小説であると思う。帯に神林文学の頂点とあるが、この一文は偽りではない。ある存在が自立/自律することの厳しさを問い詰め、描ききった筆力の高さと、思索の深さに胸を打たれる。
これまでも神林の作品では、主人公たちは周囲の社会からいささか距離のある、はぐれもの的な性格をもたされていた。彼らは一様に孤独で、周辺社会を受け入れることが出来ず、また、自分という存在の基盤を確立できずに、もがきあがく者たちだった。本作品では主人公は人ではなく、人に作られた人造の人間=アンドロイド=アートルーパーという設定であり、主人公のモデルにいたっては世界に数体しかいないことになっており、その孤独感、そしてまた存在の不確実性は際立っている。そしてまた、ある目的に沿った機能を持たされて創られたにもかかわらず、当の創造主からそのような目的に沿った運用をしてもらえないという、いわば「2001年宇宙の旅」のHALのような矛盾を負わされている。筋書きは次のようなものだ。
諍いから月を破壊してしまい荒廃した地球で、環境の復興のため、復興期間中全地球人を火星に移住させる計画が持ち上がり、UNAGという国際組織がこれを推進していた。復興は機械人にプラントを作らせてこれにあたらせるが、その機械人をコントロールするために、人間の諸機能を強化・省略したアンドロイド「アートルーパー」が作られる。本作の主人公、初代モデル(エリファレットモデル)のアートルーパー慧慈(けいじ)は、訓練期間中に反UNAG派勢力からの攻撃を受け交戦、かろうじて生き残るが、これがきっかけで本来の任務である機械人の監視、復興工場の管理という任務につくことが出来ず、反UNAG勢力に対する作戦に投入されていく。誕生して5年、高度な能力は持つが、精神的に幼い慧慈は周囲に翻弄されながら徐々に自己を確立していく。初期訓練の担当だった間明(まぎら)少佐の言葉、「われらはおまえたちを創った。おまえたちはなにを創るのか?」を胸に抱いて。
ざっと言えばアートルーパー慧慈のビルドゥングス・ロマンなのだが、そのあたりについては下巻の解説で笠井潔が詳しく分析しているし、僕には分析できないから特に述べないが、とにかく上下巻合わせて約1200ページ、延々と慧慈の苦悩が続く設定は、一介のSFというよりは、やはりビルドゥングス・ロマンとよびたくなるだけの深みを持っている。
神林といえば日本SF大賞を受賞した「言壷」を代表として、言葉による世界の構築、または言葉による世界の変容を多く扱ってきたが、こうして『膚の下』を読むと、その元にある自己の存在の不確かさとその克服ということが強く意識させられる。本作の中でも、言葉に頼らない犬(人造犬)のサンクだけが、ものの形にとらわれずその本質に反応する訳で、言葉や形で世界を認識せざるを得ない人および言語に頼る存在の不自由さを意識させられる。主人公慧慈が日記を書き続けることも象徴的だ(そして、ある時以後つけなくなることも)。
ところで、下巻の後半はもう涙なくしては読めないのだが、その414ページ、

 理想が実現した後にやってくるのは、もしかしたら満足感ではなく、哀しみかもしれない、と。
 −−それでもわたしはやったのだ。

このあたりで、ぶわーっと、神林はここまできたんだ、こんな凄いものを書いてしまったんだ、と胸がもう一杯になってしまって、早朝の横須賀線の中で、一人感動していた。神林の「わたし」は、孤独な私だ。およそ日本的でない孤独な「わたし」だ。しかし、慧慈は、「わたし」であることを全うして生きた。そうした小説を読めたことが、正直に嬉しい。未読の方はぜひ、読むべし!

膚の下 (下)

膚の下 (下)