整ったものよりもほころびたり破綻しているものに目がいく性質(たち)で、写真でももっぱらそのようなものに関心がいく。飯田橋のとあるお客さんの近くには印刷や製本の工場が多く、幾分疲れた昭和のかおりのする建物もまだだいぶ生き残っている。幾分というよりは大分疲れた建物の塀というのだろうか、基礎というのだろうか、その上に発泡スチロールの鉢植えがあり、目を惹かれた。
何かの緩衝材であったのだろう発泡スチロールに土をいれ鉢にしてみたものの、経年劣化で鉢はボロボロ、鉢から溢れた植物が付近の地面と一体化している。植えられている植物も、どこまでが恣意的に植えられ、どこまでが風に流れてきたものなのかの判別がつかない。
いつもポケットに入っているiPhoneですかさず写してきたが、これがどうしてよく写っているのでFlickrにもコピーしておいた。昭和と平成末期のコラボである。