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蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

『夫のちんぽが入らない』

一昨日はどうやら三浦半島のルルイエ田浦まで行ってしまった私であるが、昨日は乗り過ごすこともなく無事下車して、気分が上向いていてそのまま歩いて帰宅した。自宅に点いたのが1時半位だったか。奥の部屋の明かりが灯っているので覗いてみたら、息子氏がこたつで爆睡していて、かみさんはその隣の布団で爆睡しており、まことにお疲れさまなのであった。妻の人には頭が上がらない、不肖の旦那である。息子をこたつから引き抜いて、かみさんの隣に放り込んで風呂に入った。

昨夜は新宿でNさんと原田兄とゴールデン街で春樹待ちという夜だったのだ。僕は春樹には今回は用がないので終電でお先に撤退した。そもそもは、原田兄に『夫のちんぽが入らない』(こだま/扶桑社)を借りる(そして『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』を貸す、はずが忘れてしまった)という算段で、神保町で会うはずであったのだが、Nさんが春樹待ちで新宿に現れるという情報を得て、ご一緒させてもらうことになった。

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

ゴールデン街某店で出版界隈の話をあれこれ3時間ばかり、この話をこのまま配信したらものすごく面白いだろうねとかいいながら(もちろんそんなことは出来ないのであるが)ビールを片手に久々に楽しませていただいた。お二人に多謝であります。 さて問題の本を帰路読みながら、そして帰宅してからも読みふけって、結局読了してしまった。この本、だいぶアレなタイトルだ。でも中身は心の弱い女性が過酷な人生を生きてきた半生の記録で、極めて真面目な本なのである。

旦那と物理的に出来ないという笑えないトラブルを抱えたまま、ついには夫の風俗通いを黙殺しながらも、それでも著者夫妻は20年もおそらくは望んだまま、夫婦を続けている。作者の心が振り切れていたときには、出会い系サイトで知り合った見知らぬ男性と次々に喜びのない行為に及ぶ(なぜか他人のちんぽは入ってしまうのだ)。

作中精神を病んだヒトのオンパレードで、類が友を呼ぶのか、それとももともと世界には精神を病んだ人が溢れているのか(多分後者だ。「フツウの人」なんてまずいない)、深い霧の中を作者は逃げることも出来ず進んでいく。そう、この手の人はまず逃げるということが出来ないので、ゾンビのようになりながらそれでも突き進んでしまう。

夫婦ともに教員であり、作者は心を壊して教職を降りるが、面倒見のいい旦那は教職にとどまりドロップアウト寸前の子供に付き合い続け、こちらも心を壊す。教育というものに関わる人間が集まって、なぜこんなに他者を労ることが出来ないのか、というくらいにこの夫婦の環境は孤独で、真剣に仕事をすればするほど病んでいく。そして今日もちんぽが入らず、旦那は旅行に行くと嘘偽って風俗に通うのである。 夫婦といっても、そのあり方は千差万別で、多様性に満ちている。この二人も、こんな関係でありながら、互いに夫婦であろうとすることをやめない。

AMAZONのレビューでは評価が二分して、なぜこのような状況を改善しようとしないか分からない、二人で頑張って改善しようという結末がなくて失望したといった正しさを求める批判がかなり見られるが、渦中の二人には、いまこういう風にしかならないというリアルな毎日があるはずで、部外者の正しさなんてそこでは遠くで光っている星程度の意味しかない。むしろそれ自体が暴力で、そうした暴力の場である学校で二人は戦って壊れていく。

母娘関係、自己肯定感の欠如、肉体的な困難(旦那がでかいのか、著者が小さいのか、はたして両方なのかはわからないが、入らない。また、筆者は後半、自己免疫系の疾患で関節に異常が出るという二重苦を負う)、個別に撃破したい困難だらけの人生で、それでも、その人生をなんとか肯定して穏やかに着地しようとあがいていく。乾いた筆で淡々と描く人生は、ときにユーモアを交えつつ、そのユーモアも痛々しくて、辛い。そしてその中心に居座る、なんと当たり前な行為をこなすことが出来ないそのトラブルを素直に叫ぶ本なのだ。

レジには持って行きづらい本だけれど、身の回りに心が壊れたこのある人がいたり、なんであれ心に辛さを抱えて不安定な毎日を生きている人には刺さると思う。書店では田中圭一さんの『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』や、永田カビさんの『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』などと並べられていることが多い。過去から、同様の病はあったはずで、それは表に出すことができなかったのだと思う。いまそのような病が増えているのではなくて、むしろライトな形でカミングアウトできる世の中になってきたのだと、素直に歓迎したい。

まぁ読みなさい。