蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

アナログの模倣はもういいかな

Ikebukuro, Tokyo

写真環境をデジタル化して久しい。カラーからモノクロ写真を作る(現像する)際、つい粒子を入れてしまう癖があって、それはもちろんモノクロ写真をアナログの表現で見続けてきたためであるのだけれど、最近の写真雑誌の特集ページ等で、特にオリンパスペンFのフィルターに顕著なのだけど、銀塩のシュミレーションが大分発達して、かなり銀塩っぽい写真が本体のみで撮れるようになった、そういう写真をそれなりの頻度で見かけるようになった。

そしてそれが巧妙になったことと、今のモノクロ写真のトレンドが、これは雑誌がメーカーの機械を売るための装置になっているような事情があるのかもしれないけれど、Flickrなど見ていても同じ傾向なのだからやっぱりトレンドなのかな、結構HDR風というか、妙に広いダイナミックレンジをもちつつ画面を荒らしてくるような感じの、コントラスが強く、粒状性も高い画像が多いような気がしていて、なにか落ち着かない。

デジタルの方がすでに、銀塩を上回る解像度や階調での記録ができるようになっているわけで、それでもモノクロ写真というときに、銀塩に戻ろうとしていく、そういうトレンドが、なにか腑に落ちないというか、ちょっとコスプレというか、偽物というか(コスプレと偽物は相当違う概念だし、混ぜる気も、同列にする気もない)、もうそういうのはいいんじゃない、と思い始めている。

昨今の静かな銀塩ブームもあるけれども、銀塩が良ければ、銀塩で撮って現像して焼き付けたほうが、それはもうすっかり銀塩であるわけだし、デジタルで模倣する銀塩よりもずっと銀塩なわけであるわけで、わざわざデジタルを銀塩に近づけなくてもいいじゃん、という感覚だ。

グダグダちょっと酔ったままに書いているが、単純に、もう粒子を入れるのはやめようかなと思っている、そういう話です。これは自分の感覚のことであって、僕以外のうん千万うん億人の写真ファンは、好きになさるのがよろしいと思う。表現はみなそれぞれで、人の好みに合わせる必要なんて無い。好きにやろうぜ。

それでもって、FUJIFILMのXシリーズを使っているわけで、おまえそれフィルムのコスプレじゃんと言われると弱いのだけれども、PRO Neg. Stdと古いレンズの相性がなかなか良くて、これで彩度の低い画面を作るとモノクロームの一つの方向性みたいなものを感じたりして、無理に白黒モード使わないのも面白いとも思う。いや、無理しているわけじゃなかったんだけど。

Tokyo station