蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

アベラシオン(上・下)(篠田真由美/講談社ノベルス)

★★★半
四つ星にしたい、という欲求があったのだが、そこまでの感動があったかと問われると、そうでもないので冷静に半分減らした。しかし誤解してほしくないのだが、本作は面白い。上巻カバー表一の袖での作者の作品内容の保証は正当で、なるほどすべて当て嵌っている。作中にもエーコの小説が登場するが、読中何度も「フーコーの振り子」を思い出した。もっとも、内容は「フーコーの振り子」とはかなり異なる。作中で共有しているシチュエーション、いわば、歴史とか、オカルティックな舞台設定とか、虚であるはずの物語が主と見え、主であるはずの現実が虚と見えるような、倒錯。おお、アベラシオンじゃん。我ながらかなり酔った頭でそれっぽいことを述べてしまったかもしれない。これはヤバイね。とにかく、建築探偵などという、実にマニアックな分野を創出された篠田真由美の大作である(いやもちろん、分野的には「黒死館」がその源流ではあろうが。本作中でも一部紹介されている)。そうでなくても氏の舞台装置が濃いところ、本作ではそのもっとも濃いところを煮詰めた特濃の仕上がり。ノベルス上巻の背のキャッチ「ミステリの大伽藍」がすでに大盛りのサービスなのに、さらに下巻では「ミステリの金字塔」ともう特盛り大盤振る舞いだ。しかし篠田作品のこれまでを考えれば本作はまさに金字塔で、建物への愛が溢れた一台作品なのである。大体一辺が50メートルもある正五角形の4階建て、バベルの塔かと思ったのは私だけか? バベル的な展開はなかったものの...。無理やりにこじつければ、バベルの塔の物語は、神の怒りによって認識の土台である言語を徹底的に分けられることで、世界が分裂してコミュニケーション不能に陥るという話であって、本作の中心をなす美青年と美少年の兄弟の、そしてその間で翻弄される主人公と周辺の登場人物たちのディスコミュニケーションというところで、かろうじて繋がるかもしれない。
作者が幻想小説と言い切ったように、美青年、美少年、異形の存在、機械仕掛け、薬物、猟奇的な歴史、西洋美術史を具現化したような建物(そしてそれを引き立てる東京の下町出身の、まっすぐで正直な主人公)と、設定は絢爛豪華でにやにやしながら読む。女性作家のミステリの面白さはやっぱり美{中年|青年|少年}がもう弄られ放題弄られる所。本作はさらに幻想小説だから、弄る上に捻って歪めてその趣味の人は悶絶して喜ぶことだろう。逆に妙に痛い女性間の諍いには男性の末席を汚す身ではあるがなにやら異性のただならぬ世界を見てしまうような思いがある。男って、もっと単純馬鹿だもんなぁ。女って怖いなぁ。本作の天使たる超美少年、誰もが天使を思い出してしまう超絶の相貌を持つジェンティーレ君が男なのは、ひとえに作者が幻想小説好きの女性であるからであって、これが男性作家であれば、今まさに流行りのツンデレ、薔薇のつぼみの清廉さと鋭い刺を持ち合わせた超絶のゴスロリ美少女となっていたであろう。いや、ゴスじゃないかもしれないけど。ああ、そういえば、小野不由美の「黒嗣の島」にそんな女の子がいたね! デレはちっともなかったけど。篠田真由美のそうした美少年をアレする趣味は、例えば「彼方より」でいかんなく発揮されていたわけで、代表作の建築探偵シリーズでも紅顔の美少年蒼君が、それこそもうブラッドバス(@広江礼威)なナニでアレなことになっていて、まぁファンはそれがたまらないんだろうね。とにかく美しくも徹底的に歪んだ世界を実に巧いことこさえて、そこに一人、徹底してまっすぐな人間を投下してより世界の歪みを強調する、かつその世界の遣る瀬無い救いがたさ、そして共感を引き出すという篠田マジックは本作でもばっちり働いている。で、彼女のずるいって言うかうまいって言うか、魅力は最後にそのまっすぐな人間の存在する救いとか、弱い存在である人間が、いかにかして救われるべき道を、提示されなくとも模索しつづける力を見せるところであって、白黒オルタナティブな人間評価でなく、大上段からの裁きを排した弱者への視線、赦しであって、なんていうかね、くすぐられるんだよね。もっとも、それが嫌な読者も相当数いるだろう。うん。
またまたカヴァー表一袖の作者の保証に戻ってしまうのだが、確かにオチはバカミスだ! っていうか、これは分からないだろう。反則すれすれ、しかしそれなりの複線は張ってあって、ああああ、なるほどまぁそうだろうけど。という気分にもなる。ラピュタかよ! と思った方は胸中でああ思った思った! とつぶやいてください。
分厚いノベルスでしかも上下巻の豪華特盛り仕様だが、飽きさせもせず引っ張る力はさすが。さぁ、酔っ払いが止め処もない話を無理やりに切ろうとしてますよ。*1ええ、面白いです、本作。建築好きで、かつ、美少年美少女美青年がアレな小説が好きな方は、ぜひ。(<それだけかよ!*2
※ちなみにノベルスの原本になったハードカヴァーの単行本があるが、装丁が良いのでお金に余裕があるなら、ぜひそちらを買ってほしい。ノベルスはボッティチェルリボッティチェリ)の「春」がすばらしくて、これが気になってデスクトップの画像を「春」に差し替えてしまった。あぁ、ウフィツィ美術館に行きたいなぁ。

アベラシオン (上) (講談社ノベルス)

アベラシオン (上) (講談社ノベルス)


アベラシオン 下 (講談社ノベルス)

アベラシオン 下 (講談社ノベルス)

*1:マジで酔っ払っていて、ちょっと、どうしていいのか、分かりません。飲み屋のだらだらトークだな、こりゃ。

*2:もちろん、美少年他だけじゃありません。バカミスって言っても、たとえば殊能将之の「黒い仏」みたいな、ああいう、殺意を覚えるようなものではまったくない、と断言してみたり。しかし、ラストに殺意を覚えさせるのって、それはそれでミステリとしてはある意味なにかを達成しているのかもしれないが。