蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

Kindle + Blog

おなじみ中俣さんの海難記(http://d.hatena.ne.jp/solar/)より

キンドルで読むために、いろんな本のサンプル(ポーからマルクスまで)をダウンロードして読んでみた結果、最終的に落ち着いたのは、「キンドルで英文ブログを読む」という利用法だ。何しろ、いくらつかっても通信料はタダだし、電子ペーパーなので電池も長時間もつ。家で読みはじめたブログ記事を、そのままスリープ画面にしてキンドルをもって出かけ、読みかけの続きを町中のカフェや公園のベンチで読む、なんてことが自然にできるのだ。

電子書籍ブラウザとして開発されたKindleがBlogのブラウザとしてしっくりくると言う、着地の仕方が面白い。Blog自体が「読み物」であり、書籍性の高いメディアであるために、Kindleのようなブラウザと相性がいい事は(こうして指摘されてみると)当然の事かもしれない。
「本」というブラウザを得て小説やエッセイといったコンテンツが一定の進化を遂げたと(実証はないが)考えて来たが、Kindleのようなブラウザを得てBlogなどが新たに進化/変化すると言った事は十分に考えられると思う。面白い。

更に「マガジン航」より

創刊(「刊」?)されたばかりの「マガジン航」にセバスチャン・メアリーのなかなか興味深いBlog記事が翻訳・転載されている。そもそも長文を電子化して読む事自体がナンセンス、というこの指摘は非常に新鮮。コンテンツ自体が本と言うブラウザに適応させる為に恣意的に「長文化」させられてきており、それが本と言う制約を外れた際に、短文が価値を持つような電子メディアの世界ではそもそもそぐわないというのは面白い。
電子メディア、というかWEBの世界で短文が本当によりクールな、価値を持つものであると僕は断言出来ないが、ハッカーの文化ではより「短く、簡素に」とコンテンツの切れ味とシンプルな表現をこそ大切にしてきたし、Twitterなどの勢力を伸ばしつつあるサービスを見ていると、長々と述べるBlogの窮屈さから解放された軽やかさを確かに感じられる。

だから、小さな液晶画面でトルストイの『戦争と平和』を読んで、目をダメにする変な人たちのことは、もう忘れましょう。そのかわりに文章をダウンロードしたり、アーカイブしたり、注釈のタグを付けたり、共有したり、リンクが切れてウェブのどこかに消滅してしまった短い文章のプレイリストを作って、カテゴリー分けをしたりできるような、本当の読書用iPodをいまこそ実現させましょう。とても短い記事向けiTunesのビジネスモデルを開発し、デジタル短文作品のことを真面目に考えていきましょう。