蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

Blogと目次

「適宜更新 フリーライター古田の日々あれこれ。」2011年10月10日のポスト、「あたいのからだを通りすぎていったフローたち」を呼んで考えた。Blogって立ち位置が非常に微妙だ。
このポストの趣旨は、断片的な思いを気軽にポストできるSNSに対して、それをまとめ編集して記録するBlogの再発見、ということかと思うのだけど、Blogって一度書いてしまった記事を探しづらいよね。
明確な目的をもってある記事を読みに来る、検索して来る場合はいいんだけど、それ意外、自分でも過去記事を探すのに苦労したりする。最近僕はまとまった文章は、真っ白な軽さが気に入って、Posterousに書いたりしてるけど、Posterousも過去記事を探すのが結構面倒だったりする。
その昔、Blogがこうも流行っておらず、WEBでなにか書くとしたらばHTMLをシコシコ書いて、自分のサーバかレンタルスペースにアップしていた頃は、記事を書いたらばトップページ(本来の「ホームページ」)に目次も作ってた。
当時はWEBの検索機能が今ほど充実していなかったから、そうした目次は必須だった。でもそれは、Googleが発達したからといって、廃れさせちゃっていいことだったのかな?
大切な文章は、きちんと目次、というか記事リストを作って、自分のサイトに来てくれた人に一覧表示したい。Blogの登場は、ポストを細かくたくさんさせるようになって、過去記事への案内はGoogleなどの他人に任せるようになったきっかけになったのではないか。
つまり、それって「適宜更新」で古田さんが、情報を断片化してきた、と言っているのと、まさに同じ構図なんじゃないか。
僕はこのはてな日記ももってるんだけど、ここでは記事一覧、という形で記事のタイトルをだーっと見ることが出来るようになっている。せめてそういう誘導をしてあげたいかな。PosterousはかなりSNS寄りで、そうした過去へのリスペクトが薄いような気がするんだ。
まぁ、はてなを見なおそう、という意味もチコっとあるけど、それ以上に、自分のサイトを改めてちゃんと持って更新したいな、とちょっと思った次第。そう、その意味では、昔のサイトって「本」の影響をしっかり受けていたよね。時系列でなく、コンテンツの意味で情報整理してたんだ。Blog以降は、コンテンツは時系列に配置され、あとはフリーワード検索に頼るようになった、ということ。どちらがいい、悪いではないけど。
そしてそう考えると、やっぱりBlogの立ち位置って微妙だ。トラックバックやコメント機能は、荒らし対策であまり使わなくなっているのがトレンドだし、そうなってくると、SNSには勝てない気がしてくる。実際、FacebookにはNoteというアプリがあって長文も打てるしね。

というわけで、実はいますごくほしいアプリはBiNDだったりする。サイトデザインに時間を掛ける余裕は今ほとんどないけど、きれいなサイトが欲しいもの。改めて、自分のサイト作りたいなぁ。