蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

親父倒れる

夜残業に励んでいると義理の母より電話、親父と連絡つくか、とのこと。仕事の関係から、義理の母と親父は週末以外は別々に暮らしているので、こういう会話になる。しかし、昨日から連絡が取れないと言う。親父も散歩とか好きな人間なので、時間帯によってはぜんぜん捕まらないのだが、さすがに2日となるとそれはちょっと怪しい。義理の母も今からとにかく帰るから、というので、こちらも店じまいして帰ることにする。
途中実家に電話入れるも、確かに捕まらない。携帯もダメ。親父も77だし、これはひょっとして、と心の準備をしつつ急ぐ。東京駅からの横須賀線が長い。呆然として座ったまま、何もする気がしない。カミさんに連絡の中継を頼んでいたのだが、横浜を過ぎたあたりでメール、親父倒れていたとのこと、さらに鎌倉直前で、救急車を呼んでいる旨連絡がある。急ぎタクシーで実家に向かうと、なるほど救急車が。朦朧としてはいるものの、意識もあり、身体も多少は動かせる様子。かかりつけの横須賀の病院へ搬送してもらい、僕は義理の母の車で後を追う。
長谷から134号線経由、逗葉新道を超えて逗子へ抜け、16号へ出て横須賀へ。さすがに夜中だけあって道はすいている。3、40分くらいで病院着。待合室で延々と呼び出しを待つ。親父はとっくの昔に処置室の中だ。その間にも救急車で運ばれてくる人、自力で来る人、深夜にもかかわらず救急治療室は混みあっている。やがて処置が終わって、いろいろと質問される。親父を発見したのは義理の母だが、親父は台所でうつぶせに倒れていたらしい。玄関の戸には昨日の新聞がまだささっていたというから、昨日の朝から倒れていたのかもしれない。前立腺がだいぶ肥大していて、最近は排尿に難があったのだが、どうやらうまく排尿できず気絶してしまったようだ。カテーテルが挿され、随分な量の尿が排出されていたから、苦しかったのだと思う。
病院の移動式寝台の上でしきりと指先を動かしつづける親父。目はぼんやりと中を見つめており、やはり衰弱している。そのまま入院となった。そこからまた延々と待たされ、結局2時半頃にようやく入院棟へ移動、一応の説明を聞いて義理の母と鎌倉へ帰ってきた。説明と言っても、様態については医師が救急の宿直で手を離せず説明は聞けず、しかしとりあえず点滴をうたれ、酸素マスクをつけてもらっていびきをかいて寝ている父はさしあたって大丈夫そうであったので、まぁ、少し安心したのだった。
明日(今日とも言う)、改めて病院へ行って入院の手続きと、医師にあえれば病状の説明をしてもらう予定。今日はもう朝と言っていい時間だが、とりあえず、寝るぞ。
しかし、久々に真剣に神に感謝した。