蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

実家喪失

父からメール、家が売れたという。そのお金と貯金で今まで義母の会社のオフィスだったマンションの一室を購入するというのである。その部屋は義母の家のドアの向かいにあり、まぁ、父にしても義母にしても安心なロケーションと言える。しかしその部屋は多分、北西に向いていて少し暗く、また初台という場所自体がいささか父の趣味からははずれた場所であって、かねてからあった義母の、実家を売ってそちらに移らないかという誘いを、父は受け入れずにいたものだから、こちらとしてはいささか不安な所がある。記憶に若干の障害を持つようになった父は、どこまで納得してこの話を進めてのだろう。またある日突然、自分はこのようなことを望んでいなかったと憤慨したりしないだろうか。下手をすると昨日のことをうまく覚えていられないことすらある父だから、取引は義母が行ったのだろうし、さあれば、本人の意思についてもやはり多少疑いたくもなる。
しかし、父からのメールは妙に明るい。健康だった頃の計算高さと決断の早さ、悔いのなさがそこには見て取れて、なにかまぁ仕方がないというか、さばさばしたものも感じる。実家に引っ越すことを決めたときも、即日即決だったのだ。父の決断力というものはなかなかのものであったのである。だから、多分今回も、多少思考力が落ちたとはいえ、自分の未来と生活とをきちんと秤にかけた結果での判断であると信じたい。が、そこに不安もあることは既に書いたとおりだ。
不思議なもので、もともと父の家であって僕の家ではないし、父が売るというならそれに特に異論を唱えられるものではないのだが、こうも早い進行ではこちらも戸惑う。話が決まったとあれば近く家を片付けにもいかなくてはなるまい。別れを惜しむ間もなく次々に未来が眼前に来てしまう。少しは感慨にも浸ってみたいものだ。
というか、心のバックグラウンドで密かに感慨に浸っている自分がある。何か置き去りにされるような、悲しい気分だ。実家には父と二人で引っ越し、しばらくの間を過ごした。そこは父と僕の家であって、しばらくして父と義母が再婚した後もやはり自分にとっては、父と僕の家であったのだろう。その家が売りに出され、父が義母の家(の横)に移るということは、なにか家との別れだけでなく、父との生活とのお別れであるように感じられるのだ。家とは、そういう場所らしい。
いまや僕だって、自分の家を構えているわけだから、物理的な場所としての家という意味では、そこには大きな意味はもう無いのだが、しかし精神的な場所として、実家には即物的な場所以上の意味があったということだろう。あまりにも月並みすぎるが、そういうことは失う段になるまで気づけないものだ。村上春樹の初期作品に何かこのような喪失感についてかかれたものが多くあったように思う。『1973年のピンボール』を読み返そうと思っている。