蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

三度目は喜劇、四度目は悲劇?(エンドレスエイト/涼宮ハルヒの憂鬱、あらためて)

知人にメールを打っていたらば、ほとんど日記の記事みたいになってしまったのでそのまま日記に引っ越してきた。批評とか批判とか出来るほど整理出来る訳でも分析して読み込める訳でもないからあくまで感想として読んで下さい。

昨日のエンドレスエイトの話、評判いいどころか批判あるんだね、オタクの間でも。
まぁ統計とった訳じゃないし。一部の濃い人だけの話かも知らんけど。
わざわざ京アニに電話して講義する人まで:
今日もやられやく - FC2 BLOG パスワード認証
途中で読むのやめちゃったけど、やっぱりこういう作品、やりづらいのかなぁ、
っていうよりかは、きっと、批評家好みなんだろうな。
昨日聞いた様に、飽きたっていうような、その感覚が多分普通なんでしょう。
毎週楽しみに見ていて、おい、これは凄いぞと2週目で思い、
3週目はまだ驚き、しかし4週目では、という。
その驚きを残させないところが、僕は凄い、っていうか面白いと思うんだけど。

時間ものSFは大好物なので、このしつこい構成は演出的に賛成だ。繰り返す夏、というネタは古くは(もう古くなっちゃったんだけど)押井のビューティフルドリーマーとか、最近だとゼーガペイン(記憶を含めて8月31日にリセットという意味ではこれが一番近いか)とか、アニメ界でも使われてきたネタだ。モラトリアムな時間と言う意味で、学園生活の、しかも夏休みと言うのは殊更にその性格が強い。とはいえ前者ではそれを打開する行動が演出の全体を占めていたし、後者は観測者が繰り返しの外にいるのでこの繰り返しの気持ち悪さはあまり感じられなかった。(むしろゼーガでは奪われる記憶の方にテーマ的に合致していて、生の不確かさがピックアップされていた。)
ところが、エンドレスエイトではリアルに同じ行為を繰り返される訳で、流石に4回、しかも準再放送に新作が混じるという視聴者を試すような設定の中でのループ設定。「あらためて」というシリーズタイトルの人を喰った表現、再放送という「繰り返し」の中で新作が逆メタな形で(作品内ですら)ひたすら再放送される、というメタメタな構造。それを(現時点ではまだ)4回(であるが)繰り返すことで視聴者にすら先に進めない徒労感を存分に味あわせる設定。飽きるどころか、僕は興奮するんだけど。
ちなみに僕は録画で見ていて、2回目のエンドレスエイトを3回目と間違えて視聴、3回目の段階で既に4回この繰り返しを体験してしまった。確かに、うんざりする。でもそれこそが。延々とあおられる焦燥感こそがいいんじゃないのか? こういう小説、何かで読んだ気が...あれだ、神林長平の短編、『忙殺』だ。
神林の初期短編は重く憂鬱な作品が多いが、『忙殺』はかなり「厭な」作品の一つだった。そしてその「厭な」感じの為に強い印象が残っている。作品では、忙しさとは未来の記憶であり、それを忠実にこなさなければ消滅してしまう、という精神衛生的に大変よろしくない設定が施されており、主人公はそれを実体験として複数回知覚させられる。エンドレスエイトほどに忠実にリフレインする訳ではないが、延々と繰り返される記憶はかなり負担だ。気になって今確認してみたらば、作中4回反復していた(4回と言うのは、やはり限度を超える数字なのだろうか)。商業もの文筆作品でエンドレスエイト並みに一字一句4回もリフレインをする事はまず不可能(筒井康隆あたりの書き下ろし単行本ならあるかもしれないが)で(しかも相当巧くやらないと意味をなさないだろう)、この作品では主要部分のみを繰り返す様になっているのだが、反復する時間のストレスを十分以上に感じられる構成になっている。未読の方はぜひご一読を。
と、話が逸れた。エンドレスエイトの肝は、省略して反復を描けるにも関わらず、再放送というテレビ特有の形態を逆手に取って再放送内で新作を再放送するという斬新さ、かつ、主となるなる作品に対して無限のヴァリエーションを描きうるという二次制作への揶揄(も僕は感じている)、視聴者が不満や不安を(上で2ちゃんのまとめへのリンクを貼ったが)噴出させる事をまず間違いなく理解した上で実行する京アニの確信犯的な実験(というか批判だと思う)だろうか。(さらには、作中の繰り返しで変化するのはほぼ登場人物のパッケージのみであり、それは、DVD展開したときに、パッケージが違うだけで(初回限定版と通常版の)全てをそろえてしまうようなユーザに対しての揶揄ですらあるように感じる。この作品、実際にDVDにする時どうするんだろう。)
そんなところで、なんとなく、旧エヴァ『THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』で劇場を映し出したあの実写シーン、あれに共通する批判性を感じてしまった。うんざりだ、何だこれ、と素直に疑問を感じる者が多分一番まともなのだろう。作品の実験性から言えば、3回繰り返せば意図は十分に伝わる。ここまでがまともな作品の範疇だろう。我慢の限界とも言う。
4回目は明らかに過剰で、でもその過剰さにこそエンドレスエイトの意味はあるのだろう。三度目までは喜劇で済んだかもしれないが、四度目は観客も停滞を体感せざるを得ない。理解を超えて、うんざりするのだ。凄い作品を作りやがった! と僕は思っている。
追記:

  • 時に、外国ではちゃんと『涼宮ハルヒの消失』になっているのね、タイトル(Veoh等参照)。
  • これを許した角川はなかなか凄いと思う。よく企画通したな。
  • しかしなぜ長門に次の回転時に向けて伝言を託さない?