蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

空の境界」進行中。だんだん面白くなってきた。しかし、台詞まわしにいろんな既存のキャラクタの影を見てしまう。これも引用文化の賜物? 世代でそういったスタイルを共有するのも悪くないと思うけれど、定型化しても面白くない。基本に則ってかつそれを外していく所に面白みがあるのはどんな文化的活動でも同様のものなのだろう。最初から既存のスタイルに全く依存せず、関係せず、模倣もない、その状況自体が程度問題としてしかありえないだろうと思う。スタイル、型は、けっして馬鹿にできるものでない。型を身につける事すらできないものが、型を打ち破る事は困難なはずだ。最初から型に収まれない天才は、つまり、一切から自由な天才は、僕は何となくその存在を祈ってしまうのだが、いるかどうかも分からない。例えばピカソはあれだけのものを生み出したが、彼の幼少期の作品は見事に型を極めている。その上で、そこから溢れ出していく。自由って難しい。それは型がない事でなくて、型を超える事だと思う。
ああ、でも、ジャンルのない何か、というのはあるのだろうなぁ。それは、型すらない、まっさらな所。想像できるけど、モデルがよく分からないなぁ。