蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

ガンダムSEED 涙の最終回

ついにDVD最後まで到達。さすがに最後の2枚は盛り上がること、最終2話は居住まいを正して見ました。ああ、涙。
唯一(?)の大人キャラだったナタル・バジルールを困らせたのは最後までお子様だったか! ああ、殺しやがって! あんな和田慎二画風のお子ちゃまに! ナタルさんもったいないです。何てことだ。つーか、おまえら、迷いなく艦長を見捨ててなく退艦するなよ>地球軍ブリッジ諸氏。むかむか。部下にも恵まれないなんて。おまけに(順序逆だけど)SEEDのミッキ?ことムゥまでさようならだし、んでもって最後までラミレスさんは艦長になりきれないのでした。恋人が死んだからって、指揮官が泣き叫んでる場合じゃないだろう! いや気持ちはものすごくよく分かりますけど。はぁはぁ。
報復がエスカレートしてそのまま螺旋状に終着点へと加速していくあたりはそれなりにリアリティがあり、戦争の終結も喜びではなく果てしない無力感をもたらす、そうしたアンチ・カタルシスな終わり方は好きなほう。「生きることが戦い」とか、「償い」であるとか、そういうせりふがとびかったラスト、その前向きな、あるいは自分たちを正当化する態度を、主人公キラが持たないところがナイス。中盤以降、戦いを終わらすための戦いに積極的に出て行くキラだが、周囲の人間をその気にさせながらも、その実自分は果てしなく迷い戸惑っているところに好感をもてるなぁ。積極的逃避ちゅう言葉を好んだ映画人がいましたが、積極的に迷いつづけるという態度もまたありなのかもしれない。なんて。結論の出ないような問題に対して、さっさと結論を下そうとすることは、問題からの逃避に過ぎないし、ただ迷っているだけでも、それはそれで膠着状態に陥って動けない。迷いながら進む、その痛みはよく描けていたのでは。最終話付近かなり力をいれて痛い話にしたのは評価できるけど、振り返ればサンライズってそんなんばっかし? フレイが逝ってしまった時に現れた霊体?はイデオンを彷彿とさせたり。ああ、フレイも逝っちゃったなぁ。目の前で大切なものを奪われ続ける、あれだけの経験を通して、まだちゃんと生きているキラの精神力もすごいけど。
しかし、やっぱりそれにしても解決法は武力なのか。なんといってもガンダムだから、これはもう武力以外にないのだけど、その辺に限界を感じちゃうなぁ。とはいえ、それはアニメ界というよりも、自分たちの限界か。戦争や暴力に対する戦いをどう戦うのか、目の前で人が殺しあっているとき、その双方を守ることはできるのか? マルキオ師、重要な役割の割にはいまいちなご活躍。今後彼の出番は増えるのか? って、Destiny始まってもう8話終わってるし。ぜんぜん見てないぞ。次から録画するかなぁ。(この項いつもどおりまったくまとまらず)