蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

恐い話

戦争の話でさらに思ったこと。
僕の読んだ怖い本の堂々の一位に輝く絵本『風が吹くとき』。原発事故が近くで起こり、放射能災害でどんどん体調を悪くしていく夫婦の話なのですが、本人たちは原因を理解しておらず、ただ、ひたひたと体が蝕まれていく「日常」が描かれる。日常がいつのまにか食い込んだ異物に浸食されるのって怖い。戦争もそんな風ではないかと。現に僕たちも、イラクに「派兵」しちゃっているわけで。自民党も憲法改変案を堂々とHPに載せてるし。だんだんとのど元が狭まってきている恐怖があるなぁ。
戦争というと、どうしても自分の子供の頃受けた区別(あえて「差別」とはいいませんが、群れからの排除ではあった。当時はまだ外人顔は田舎じゃ珍しかったのだ。)、ユダヤの血を持つ故の隔離への恐怖、隣人から(しかも彼等自身の外から来る理由に追従することで)ある日突然排除される恐怖。そうしたことを感じる。SEEDの話で恐縮だけど、お前はコーディネイタだから、という地球人のアレ。両親の離婚にも起因していると自分では思い込んでいるのですが、自分の中に潜んでいるそうした他者への不信はかなり大きくて、それ故に他者に追従したい自分もいる。排除されたくない自分もいる。傷つきたくない自分もいる。って、ヲヲ! なんかそれ風のドラマみたいだな! そんなの、みんなそうだよ。君一人じゃないんだよ。みたいなやつがフォローしたりして!!! アホか>ヲレ。とりあえず陳腐さに突っ込んでおこう。しかし、この不信、これと生きていくこと、これを解除していくことが、自分の生涯についてくる、通底和音のようなものだと思っています。
ますますまとまらないプチ・ダウン状態の私。強引に結論づければ、まず、自分へのツッコミを忘れてはならぬ。というところかな。愚痴言って閉じてる暇があったら遊びやがれ、ヲレ。