蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

青学入試問題その後

もんたま氏が教えてくれたサイト(青山学院高等部の問題のざっとした訳です。 - オークランド憂国日記)で例の入試問題(一部要約)を読んできた。さらにコメントから原文の問題もみつけてざっと読んでみた。
内容については、たとえば誰かが日記やブログで書くとか、そういう意味では問題はない、素直な感想文かもしれない。なるほどそういうこともあるだろうなとも思う。元ひめゆり学徒隊の方たちの証言を聞く前に見たガマの印象が強く、繰り返し語られた証言の「こなれた様子」(and she became so goot at telling it)にその印象すら薄くなってしまったという感想は、個人のものとしては特に問題はないだろう。言葉よりも体験や写真が大きく何かを語るという指摘も一般的で普通ならばその指摘自体に特に目くじらを立てなければならないようなものではない。
しかし、反論の場のない入学試験問題という場で、この内容を発表することは、仮に優れた問いかけや指摘を内在した文章であるとしても、配慮に欠ける行為だ。実際の証言者の数は少なく、容易にその語り部を特定できるために個人批判になりかねないこと、その語り部が語りつづけている意義を無視していること、そして何より反論を許さぬ言いっぱなしの場であることを、教育の場にあるものが考慮できなかったことは、十分に批判に値することだ。ものには言いようがある。適切な言葉で適切な内容を伝えるべきだ。どうせならば、青学の授業で何度も聞いた内容よりも、現場で感じた恐ろしさや、一枚の写真が伝える意味のほうが重く感じられた、という内容にすればいいのだ。2005年06月09日23時18分付けの asahi.com によれば、感想文は実在せず、同校の教諭が入試のために、自身の体験をもとに作成。とのことなので、感想文自体がでっち上げなわけだから、いかようにも操作できただろう。
マスコミの取り上げ方に偏った(うがった)見方があるという点については同感だ。たとえば前出の asahi.com では次のように述べている。

青山学院高等部(東京都)の今年2月の一般入試の英語で、ひめゆり学徒隊の沖縄戦体験者の証言を聞いた生徒が「退屈だった」と感じたという趣旨の長文読解問題が出題されていたことが分かった。

しかしこの文章の趣旨は「ひめゆり学徒隊の沖縄戦体験者の証言を聞いた生徒が『退屈だった』と感じた」ことではない。これは誤読であるか、読者を煽る情報操作でしかない。こうした記事が、話をややこしくしてしまっている。とはいえ、マスコミへの反感で肝心の問題自体を見失っては意味がない。問題はあくまで、公的な場で、反論を許さない形で、特定の人たちの行為を貶めるような発言をしたことにある。マスコミに対してはともかく、元ひめゆり学徒隊の方たちに対して、青学高等部には反論の余地はない。
とめずらしく言い切ってみたよ。