蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

新聞を開くと不快なことばかりだ

鎌倉市教委(宮崎隆典委員長)は18日、入学式・卒業式で児童生徒に国歌を斉唱させるよう求める請願を、条件付きで採択した。市教委、県教委によると、こうした請願は極めて異例だという。

なんでか地元でこういう「県内で初めて」という前例を作りやがる。教育委員会もなぜ認めたか。別に国歌を歌うことが悪いというのじゃないが、一糸乱れずそろって国歌を歌うところに道徳だの愛国心だのを求める姿勢が気持ち悪い。そもそも愛国心というときに求められている「国」の実態はどこにあるのか。彼らが求める「国」の姿が、無気味でたまらない。思想、信教の自由が憲法によって保障されている以上、道徳はその範囲内でのものでなければならないはずだ。いまだに神道の大ボスである天皇を「君」と歌う君が代を歌うわけにいかない生徒だっているだろう。ということで、無理な強制をするということに発展しないことを願う。

・「公務欠席」「私事出席」で顰蹙を買った「雅子妃のワガママ」
国連大学での「研究断念」がなければという雅子妃「同情論」
・密かに流れる「米国ボストン」での「転地療養説」
・気に入らないと「ポイ捨て」愛子さまは大丈夫?
・「秋篠宮ご夫妻」が詠まれた「こうのとりの歌」に宮中震撼
・「前立腺ガン」悪化が懸念される天皇陛下の「ご心痛」

もういいかげんにしたら、と思うこのマスコミの騒がしさ。家庭内のいざこざなんざぁどこの家庭にだってあるわけで、それがなお日本の象徴である皇室であるのは、まさに日本の象徴なわけであたりまえじゃないか。いちいち騒ぐなよ。なにもない平静な家庭なんて夢か幻だ。それをどうにかしていくのがそれぞれの課題だろう。無理なら離婚する、これもまた法で許されており、現在の高い離婚いつを見てももはや特別なことではない。彼らだって考えてもいいかもしれないぜ、世間が許さないかもしれないけれど。
そもそもひとたび皇室に入ったからといって、葛藤や個人的な欲求、つまるところ私的な自分を消せるってなもんでもないだろうし、まして生まれながら皇室にいる生粋の方たちはもっと悲惨だ。最初からそれを期待されているようなもんだ。たとえばアキバに通いつめる引きこもりぎみの宮家だなんて、世間が許さないだろう。
精錬潔癖あかききよきこころを無理やりに期待される。そんな彼らに無理やりに1億数千万人の合致しない理想の家庭像を当てはめることそれ自体がもうどうにもならない。ましてや誰かの考えた「一般的」な手垢にまみれた理想像をつきつけられてもかわいそうだ。大体生きているものを「象徴」にしちまった時点で、大失敗だと思うが、どうだろうね。わけのわからない存在にされちまって、本当に、不幸だと思うな。
だから「日本人」の道徳を彼らに託すのも、それは人道に反する行為ですらあるといっていいだろう。ついこないだまで「日本人」でなかった俺はそう思う。どうせならもっと、聖徳太子とか、そういう遠い遠い存在を象徴にしておけばよかったんだ。まだ分かりやすいよ。
もっとも、閉塞した場であることを承知で、嫁入りした雅子妃であるからこそ、その点をぶちぶちと突かれるってのはあるだろう。だからさ、いいかげんにしようぜ。気分が悪ぃよ。そんな雑誌買うなよ。