蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

個別と普遍...についての議論にはならなかった

父からのメールを引用する。

今日も散歩に行って頭を整理して、何が混乱しているのか、考えてみました。いくつか、頭を混乱させることがあるのです。Aが教えてくれるときは、具体的な問題について教えてくれるのでしようがないけど、具体例というのは、あくまでも個別の例なので、基本問題の説明とはならないのです。だから、僕の頭の中では、それらの基本的なことがはっきりしていないので、混乱してしまうのです。

この一文はMacBookの操作法について、父から質問が来たその一部である。個別の問題の全体、いやそれ以上としての普遍的な解があるのか、と言われれば、あることはあるがあてにならない、と僕は言いたくなってしまう。際限の無い小さな機能の寄せ集めとして奇跡のように稼動するOSやアプリの、基本的な構造を理解することは、無駄ではないが不毛な感じはする。なにせ父が作りたいのは論文の原稿である。そして片やコンピュータは、パッチのあたりまくったプログラムの総体としてあるわけで、そこに普遍などあるものか、と思ってしまうのであるが、これはやはり、私の過剰反応だろうなぁ。それに、父が求めているのも、そんな大仰なことでなく、ファイルの保存の仕方とか、保存したファイルが見つからないのはなぜかとか、保存したはずなのに元に戻っているのはなぜかとか、悩む前にまず個別の操作をきっちりとしようね、というものばかりなのだ。できることならば、付きっ切りで指導したいが、それもまた無理な相談。70歳よりも80歳に近い父の疑問は、割と基本的な操作についての混乱が元である。しかし、逆を言えば、割と基本的なことこそが難しいのだ。さて、これからどうして教えたものか。悩ましい問題だなぁ。