蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

クリスマス・イヴ

お昼を食べた後、横須賀へ。父は機嫌よく、いろいろ話す。しかし話し疲れたのか、夕食は箸が進まず。義母の疲れがひどい。かなり参っている様子。昨日、義母からのメールで、父の様態について言語の機能はあまり戻らないかもしれない旨医師から話されたということで、それが響いているのか。
しかし、父を見ていると、本当に不思議な感じがする。言語、思考の切れや質からいって明らかに以前の父ではなく、やはりボケてしまったような感じも少しするのだが、いったい以前の父はどこへ行ってしまったのだろう、という意識と、それにもかかわらず父は変わらずにここにいるという意識が自分の中で混在しており、いわく言いがたい感じだ。魂と言うことに付いて、ハードとソフトについて、昔いろいろとSF絡みで考えることが好きだったのだが、今、こうして目の前で父がこういう状況に置かれてしまうと、本当に困惑する。父の一部が死んでしまったようにも思うし、しかしこれはこれで総体として父がプレザンスにいる、ゆるぎない感覚もある。妹と電話で話していて、外国にいる彼女にとって、父に会えないことから来る不安もあり、また、以前の様には話ができない父のことを伝えると、果てしない悲しみを訴えるのだが、実際に病院に行って頻繁に父に会っていると、なにか、以前の父が失われたと言う感覚をなくさせるような、確かな父がそこにいるのだ。この、言葉にしがたい不思議な感覚はいったいなんだろう。さいきん頻繁に森博嗣の「F」から始まる一連の真賀田四季もののことを考える。一っていったいなんだろう、どういうことだろう...というシリーズの通底和音のような問いを、頻繁に思う。