蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

秒速5センチメートル

★★★★
※ネタバレだらけです
※しばらくは下記文章の修正がこまめにあると予想されます。

明後日に迫る上映の最終日を前に予定通りシネマライズにて鑑賞。マイキとH先生を誘っていたのだが月末の業務等で予定が合わず一人で渋谷へ。渋谷はいつ行っても、そこに集う人たちとの雰囲気のギャップで緊張する。苦手だ。しかし街は苦手でもシネマライズにかかっている映画は常時引っかかるものがある。僕もいっそ渋谷付近のもう少しオサレな所に勤めればこのギャップを感じなくなるだろうか。
最終回の19時35分からの回に入ったが客の入りは6割程度。中央少し後ろのいい席をとることが出来た。右にえらそうなオッサンと、左に口臭のきついお兄さん。位置はいいのだが、場所は悪かったか。
まずはおきまりの予告編の上映で、今同じ館で上映している「神童」にかなりひかれる。主演の成海璃子がいい。1992年生まれというから、今14歳(今年15歳)。カメラも良いのだと思うけれど、きれいな光でさらりとした素顔をとらえていて、その画だけで見に行く価値があると思った。
さて本編。20分程度の短編3本からなる連作で、主人公の少年時代から成人するまでを時間を追って描く。これまでの2本、『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』同様に、男の子と女の子の想いと距離が豊潤な映像で描かれる。『ほしのこえ』では地球と太陽系外、『雲のむこう、約束の場所』では東北と東京、本作では東京と栃木、種子島と栃木、そして再び東京と、距離的にはこれまでより若干つまっているが、心の距離は本作が一番遠い。
第1話。小学校の転校生同士の遠野貴樹と篠原明里。同じような境遇からひかれあったのか親密にしていた二人だが、小学校の卒業とともに彼女が栃木に転校することになる。桜舞う季節に分かたれた二人だが、文通を続けお互いの生活を確認しあっていた。ところが一年後、今度は貴樹が種子島に転校することが決まる。これまでは東京と栃木、会おうと思えばあえない距離ではなかったが、鹿児島という容易に行き来の出来ない距離を前に、貴樹は明里に会いに行くことを決める。3月も暮れ、予定の日は昼すぎから雪が降り始め、栃木を目指す貴樹の乗った電車も、進むごとに遅延していく。大幅に乱れるダイヤ、調整の為の停車を繰り返す電車。やがて待ち合わせの19時も過ぎ、なお電車は動こうとしない。がらがらの客車で堅く歯を食いしばりその状況に耐える貴樹。ようやく目的の駅についたときには、既に時計の針は23時を回っていた。まだ携帯も持たない二人、連絡が取れるはずもなく、会えるわけがないと諦めて駅の改札をくぐった貴樹はしかし、古びたストーブにあたりまどろむ彼女の姿を目にする。
いいでしょ。青春だよね。
やがて閉まってしまう駅舎を出た二人は、一夜を過ごす場所をもとめ真夜中の町を抜け、雪原と化した道を進む。茫洋と広がる闇に、とめどなく舞う雪。通りの向こうに見えてきたのは桜の大樹。ちょうど一年前、二人が別れた頃に舞っていた桜のはなびらのように、いま、雪のひとひらひとひらが舞い、世界を埋めていく。雪の舞う速度は、桜の舞う速度と同じ、秒速5センチメートル。どちらともなくくちづけるふたり。貴樹は二人の前に広がる距離と時間をはっきりと悟り不安におののきながら、しかしまた明里に永遠の場所を感じる。ようやく見つけた廃屋に一夜の宿を借り、毛布に包まって語り明かす二人は、やがて訪れた朝に再び分かれていく。真闇を進んできた夜から、一転してましろな風景の中を電車が走っていく...。
この第1話での、電車で見知らぬ土地を進んでいく心細さが本当にいい。両毛線岩舟駅だから、都心からそれほど遠くもないのだが(作中では豪徳寺がスタートになっている。いい町だね)、夜の車窓、雪による遅延、郊外へ進むに連れて闇がどんどん大きくなっていくその侘びしさ。駅で待つ彼女と会えるかどうかという不安、縮まらない距離、止めようもなく過ぎていってしまう時間。空っぽの客車に満ちていくあせりと恐怖。画面を見つめながら、ここで二人が会えなかったら、新海さんがあわせなかったらと内心不安になる。勘弁して欲しい。会わなければならない時というのはあるのだ。などと心配をしながら行く末を見つめていた。学生の頃は好んで各駅停車の列車で旅をしたけれど、この闇の感じは良く覚えている。旅の一番いい部分だと思う。胸に刻まれる光景だ。多分僕はその不安を感じたくて旅をしていたようにも思う。映画が思いがけずロードムービーの展開でときめく。しかも、貴樹は13歳。遠方を旅するにもいくらか若いし、好きな人が出来ても、自分ではどうにもできない辛い年頃。そのぎりぎりの選択としての一夜の旅として描かれるからもう切なさでぎゅうぎゅうである。物語はさらりと第2話へ進む。
貴樹が種子島に転校して5年、彼は既に高校3年生になっている。どこか手の届かない遠くへの想いは強く、明里への想いが強く心の中にある。彼を慕う同級生澄田花苗と仲良くはしているが、恋愛感情は持っていない。繰り返しイメージされる遠い空の向こうへの孤独な旅。どうやら止まってしまった文通の代わりに、宛先のないメールを打っては消す癖が出来てしまっている。その想いは、どこへ向かうのか、今自分に出来ることで精一杯だと語る貴樹。彼が転校してきた5年前、彼に一目惚れした花苗は、その思いを日毎募らせながらも告白出来ず胸の痛みを抱えて毎日を過ごしている。主人公が時々携帯を覗く表情に、花苗は自分と主人公の心の距離を知ってしまう。どれだけ恋い慕えど、彼は自分を見ていない。しかし、それでも想いは止むことはなく、手の届く距離にありながら、貴樹は空をゆくコスモノートのように遠い。やがて来る卒業の時、貴樹は東京の大学へ進み、花苗との別れが訪れる。
繰り返し語られる距離。第1話で距離に抗って生きていた貴樹は、いまや距離に押しつぶされそうに見える。しかし、漠然とそのむこうにあるもの、遠くにあるものへと静かにもがいて進んでいく。その道は孤独で、他人を寄せ付けなくて。傍らを歩く花苗は結局手を触れることが出来ない。この悩める波乗り少女、花苗ちゃんの表情もさることながら、種子島の広大な空の描写が飛びぬけて美しく、新海誠節をこれでもかというくらいに味わえる。特に夕暮れの光線の中、白煙をあげ大空に上っていくH2の、その白煙が光を切り裂いて空を分けていく様の丁寧な描写に鳥肌が立つ。なるほど、白煙の太陽側は輝き、その厚みの分白煙の向こう側は陰になるのだ。こうして、高みを志向するロケットによって空は二分されてしまう。ロケットを運ぶ台車に遭遇した二人、花苗がポロリとつぶやいた「時速5キロメートルなんだって」という一言に動揺する貴樹に同情しつつ、報われない花苗がもうかわいそうでかわいくて。どんなに手をのばしても、優しい貴樹は自分のところにこない、その苦しさ。そして、苦しさは解消されないまま別れがきてしまうのだ。
そして第3話。舞台は再び東京、新宿。貴樹はプログラマと思しき職業につき、何かに突き動かされる様に働いて、精神の限界を感じて仕事を辞めている。職場で知り合った女性との交際も切って、すっかり一人になってしまった貴樹。がむしゃらにどこか遠くを目指すうち、自分の中の大切なものが硬化して磨り減っている。季節は春。栃木に暮らす明里は付き合っていた男性との式も間近、貴樹に連絡を寄越す。それぞれにフラッシュバックする青春の時間。想い合いながらも分かたれてしまった時間。あの時、あの桜の木の下でのくちづけから、貴樹の時間は奪われて、永遠と感じたそこから抜け出ることが出来ず、10数年の時間を生きてしまった。でもその10数年を経て貴樹が手に入れたものは、懐かしい町の踏み切りですれ違う、懐かしい彼女、振り返った先にはただ桜だけが舞っていて。ただ、止まった時間を動かすことが出来るまでの、長い長いイノセンスが。それだけが。
付き合っていた女性と別れ、仕事も辞め、次々と束縛を捨てて空っぽに戻っていく貴樹が、そして古い荷物の中から、貴樹に宛てた手紙を見つけた明里が、そのフラッシュバックが始まるその瞬間に画面に広がる第3話のタイトルすなわち「秒速5センチメートル」そして夜の新宿の俯瞰図、突き刺さるように割れ気味に流れる山崎まさよしのボーカル。長いときを経てまためぐり合うのかと淡い期待を抱いていたのだが、なんとも苦く切なくその期待を裏切られる。裏切られる。結局、先に進むことができたのは明里で、貴樹にとってははひたすらに高みを目指しつつも進めず、失い続けた時間だったのかと思うと、もうやりきれなくて。もちろん、自分が貴樹でも、後悔はしないと思うけれど、その失ったものへの対価を、手に出来ないならば切なくて苦しい。
それでも、件の踏切で振り返った先、舞い散る桜の花びらに微笑んでいた貴樹は、きっと今度こそ、先へと進めるのだろうと、最後にそう思いたくて。
文体がどんどん新井素子になってきたので、そろそろ寝ますが。いい映画でした。DVD、出たら買います。