蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

5cmized

昨夜帰宅後早速imsで山崎まさよしの『One more time, one more chance』をDL。ついでに『僕はここにいる』と『全部、君だった。』もあわせて下ろしてくる。『秒速5センチメートル』での主題歌の扱い方は本当にしびれた。突然に画面一杯に広がるタイトル、あふれ出るフラッシュバック。幾重にも過去が輝いて通り過ぎていく、そこに絡む山崎の切ない声が胸を埋める。その地点までの約40分は、この歌のためのものだったかのように。
というわけで今日はその3曲をほとんどエンドレスで回している。とりわけ『全部、君だった。』が響く。映画館を出たあとの強烈な寂しさについて色々に思いを巡らせていた。たぶん原因は、主人公の悲しい恋の行方だけじゃなくて、あの輝いた映像の一つ一つに自分が過ごした過去と、取り戻せない時間を見ていたからだと思う。もちろん体験は違うけれど、あそこで語られていた濃厚な時間、切なく悲しく苦しい時間であっても、その時々の自分が、その時々にその時間を生きていて、そこに生きたことが、それ自体が尊くて、でもその尊さはずっとずっとそこから離れてはじめて見えてくるもので、そう、昨日僕はスクリーンから、そのような過去を見せら
れていたのだと思う。第1話で貴樹が明里とくちづけをした瞬間に感じた永遠と不安、その不安を強く感じることが出来る。その瞬間は永遠に還元され、貴樹と明里の中でどこまでも失われない地点となって保存されるのだろうけど、しかしまたそこへは二度と戻れない。振り返り永遠を見ることは出来ても、その永遠に生きることは出来ない。まるで呪いのように、貴樹にとってその時間は到達点として刻み込まれてしまった。そこに戻ろうとして進み続けた貴樹のその後は、ひたすらに失い続ける時間になってしまう。彼が見つめる未来は過去の別れの瞬間であり、進めば進むほど、かたくなに求めれば求めるほど、遠くなってしまう。自らをもすり減らすような孤独な旅はまるで「水素原子一つと出会うことも稀」な宇宙を行くようで、だからその果てに振り返ることを求められる。彼の心を満たす柔らかな桜の花びら舞う時間の中に永遠を見つけるために。永遠と分かれるために。その永遠は彼のためのものであり、失われることなく、時間の向こうに存在し続けることを認めるために。もう一度、前を向くために。