蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

沈黙のフライバイ(野尻抱介/ハヤカワ文庫)

★★★★
『太陽の簒奪者』にて自分の中で好評価を得ていた野尻抱介の短編集。いやこれが実に面白かった。なにが良いといって、全編通じて溢れる宇宙への意思である。とにかく宇宙へ行きたい、遠くへ、まだ見ぬ星の世界を見たい、行きたいといった強い意志が一杯で、読んでいて嬉しくなる。
表題作『沈黙のフライバイ』は、ファーストコンタクトものとして(完全にそうだとは言い切れないが)楽しく読めるが、そのドライなすれ違いがかえって現実感あって楽しい。ファーストコンタクトというと、ベタベタな関係かやたらハードな敵対関係かという展開が多いが、表題どおりに沈黙のうちにすれ違う、そのドライな関係がいい。
の先にあるもの』のドキュメンタリー風な書き出しから、ついに念願の小天体へいたる過程にはほろりとさせられた。さらにそのラストでの主人公の決意に胸が熱くなる。本作品集の中で、ハードSFならではの天体それ自体へのこだわりと情熱が一番良く現れた作品。
『片道切符』に登場する主人公の皮肉屋の旦那はギブスンとスターリングの共著『赤い星、冬の軌道』の宇宙飛行士たちを髣髴とさせる。火星への道は「マーズ・ワンウェイ」でいいという作者の、これまた遠い星への強い憧れを示した作品。
ゆりかごから墓場まで』エコスフィアをスーツで実現というアイディアが楽しいが、そこから火星移民(しかもほとんどスーツ単体で!)まで一気呵成に持っていくところがすごい。インド人が火星を切り開いていくという設定もまったく違和感ないし、予算をたっぷりかけて行われる何重ものセーフティのかけられた火星旅行の傍らで、セーフティは基本的に無視、数の理論でまず何より現地で繁殖してしまえというコンセプトで火星開発を行っていく勢いが素晴らしい。本作ではインド人という設定だが、中国人あたりもこれやりそうだなぁ。
『大風呂敷と蜘蛛の糸』本作の中で一番好きだった話。ローコストローテクで宇宙を目指す学生たちの話だ。カーボンナノチューブ強化繊維の成功を軸に、気球で成層圏高高度まで移動、そこからは凧で中間圏を目指すという途方もない話。途方もないが技術的に出来そうに思っちゃったし、宇宙服一丁というほとんどはだかの状態で大気圏を登っていくその孤独感と開放感が素晴らしい。ハードSFの面白さって、こういう技術の詳細さと、その技術によって世界を変えていく、あるいは世界にコミットしていくその面白さだと思う。さらに本作では、自らの出す糸で成層圏高くまで上る蜘蛛が登場。もともと空を渡る蜘蛛のことは知っていたが、作家の想像力はさらに中間圏から宇宙にまで蜘蛛を飛ばし、そうすることで遺伝情報が宇宙を渡る可能性まで一気に進んでいき、僕を嬉しい気持ちにさせる。いますごくバイクが欲しいのだけど、それはこの、宇宙へ行きたい、遠くへ行きたい、まだ見ぬ世界へ(たとえそれが逃亡だといわれても)とにかく行きたい、そういう気持ちにぴったり重なるものだ。

沈黙のフライバイ (ハヤカワ文庫JA)

沈黙のフライバイ (ハヤカワ文庫JA)