蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

即時性と無批判の時間

秋葉原での無差別大量殺人事件を受けて様々なエントリが上がっている。日記レベルの記事から、マスメディア論までその帯域は広い。
それほどたくさんのエントリを読んだわけでないので、総論というか、全体を見た話をすることはできないが、はてなのホッテントリなどを追った範囲で興味深く感じたのが、マスメディアの融解現象だ。
私もあの晩、秋葉原におり、現場交差点に設置された献花台と、そこに群がるいわゆるマスメディアの記者やカメラマンたちにかなり激しい不快感をおぼえたクチだ。それは、通常のマスメディアの事件への介入のいやらしさに加え、場所が秋葉原という、かなり濃いイコンをもった場所であることからくる、当然予想される偏見や奇異の視線を想像したからだ。
普段は街にいないタイプの人間が、舌なめずりして街をしゃぶろうとしているような、そういうナイーブな想像をして、私は不快を感じていたのだが、さまざまなエントリを読みながら、また異なった感想を持った。
時間がないので、続きはまたあとで。

 表現活動は誰かを傷つける可能性を持つ。誰もがメディアを持てる時代に、どの報道や情報発信が「正当」かという話はもはや無意味な問いなのではないだろうか。誰もがメディアを持った現実を受け止め、より良くするために一歩踏み出すためにどうすればいいか考えるべき時に来ている。