蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

右往左往

池田信夫Blogにて、太陽の活動自体が弱まってきているという予測があり、温暖化よりも寒冷化の可能性もある、という記事。話の肝は自然活動に対して人類の規模は微々たる物に過ぎない、ってことなんですが。

太陽の黒点数は太陽活動の指標であり、地表温度と高い相関がある。17?8世紀には約70年間、黒点がほぼ消え、欧州では英国のテムズ川が凍るなど「ミニ氷河期」に陥ったという。同じように黒点の減少が長期間にわたって続くと、寒冷化が起こる可能性があると研究者は懸念しはじめている。

広大な宇宙の摂理の中では、人類の活動が与える影響はよくも悪くも微々たるものである。「人類が地球を救う」などという発想は、西欧的な自民族中心主義の変種にすぎない。

人間の一生自体が短いから、専門外の人は10年20年のスパンでしか環境が目に付かない。農家など、もっと長い自然との付き合いのある人たちはまた違うのかもしれないけれど、それでも世間の言論の方が強くも感じる。マスコミの不必要に大げさな煽りも、視点をずらしている気がする。
この話を聞いた娘が、温暖化が本当かどうかは別にして、生活に無駄なエネルギーの消費や、人間に悪影響を及ぼす公害はあるよね、ということを言っていたが、その通りで、つまるところ人間に過ごしやすい世界をどう求めていくか、という意識に切り替えたい。地球でなくて人に優しい社会が欲しい。
広大な宇宙の摂理なんて、人間が影響を及ぼせるものではないかもしれないが、人間はその一端の影響をもろに被る。世界を救えなくても、自分たちが生き延びるくらいの環境は手に入れたい。そういうところで、世界を見て行けばいいんじゃないか。
大げさなエコ活動は鼻につくし、それ以上にプロパガンダが目に付いて気持ち悪い。消費社会も無駄が多いし消費のための労力が大きすぎる。
目下日本は、人口減、高齢化が大きな課題だが、そこを過ぎるとぐっと住みやすい人口になる(ように思う)。社会として、求める世界を明確にしていかないといかんなぁ。しゃにむに働いて、いつも何かが手に入らない社会から、もう少しモノが少なくてものんびり暮らせる社会になっていくといいんだけど。
といいつつ、いつも物欲の日々。嗚呼。