蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

ガンダムSEED いよいよ9巻まで

昨夜は眠気にも関わらず、盛り上がってきた内容に負けて7、8巻を見る。32話まで。いよいよキラとアスランの一騎打ちで、ニコルとトール(トオル)の死に完全にイっちゃった二人がガッツンガッツンえらいことに。
それに対して、お二人は敵と戦ったのだから仕方がない、というラクスのなんといかその割り切りはすげーな。うーん。そこまで個を捨てさせるの?そうやって割り切ってしまっていいの?
それにしてもアークエンジェル内の軍規はどうなっているのか。非常事態を訓練も積んでいないような学生に頼っての逃避行?なので、規律の乱れがあることは理解できるが、捕虜をとったらとったで医務室に放り込んであるだけだし、いい加減もいいところ。トオルが死んじゃったのも、ある意味そのいい加減な指揮系統にあると言えるだろう。あそこで出す指示を出さないのも分からないし、出るといわれて素直に出すのも分からない。判断停止してるだけじゃん。人間的にいいおねぇちゃんが上官としていい上官かといえば、それはもう全然違う。部下の生き死にを見定めた運用を(もちろん生かす方向を優先しつつ)出来るものがいい上官だろう。マリューはその辺の判断投げているとしか思えない。負けるぜ地球軍、こんなことじゃ。
つーか、全体として地球軍はずいぶん汚く描かれている。自虐史観というのは読みすぎかもしれないが、今風に言えば大義のない戦争を遂行しているわけで、そこに加担せざるを得ないキラはやはり不利だ。中立のオーブは日本を意識しているのだろうけど、中立の嫌らしさをもう少し描いてもいいかな。スイスみたいなぼろぼろの歴史を見ないと、中立の本当の意味って分からないように思う。
しかし人間って、つくづく環境に依存した存在であると思う。やはり、そこにいれば戦わざるを得ない、そういう感覚が理解できる。戦いの客観的な是非はもちろんあるのだろうけれど、もっと卑近なところで、キラが仲間を守るために銃をとらざるを得なかったような理由はありだろう。それがあるからこそ、戦争の深い悲しさや嫌らしさがあり、耐えることのない暴力の連鎖も起きるのか。銃をとらない勇気、そしてとらせない勇気というのも、難しいものだ。8巻の解説に反戦うんぬんな意見が載っているけれど、そのためにはもう少し戦いの理想化を止めなくてはいけないんじゃないの?かっこ良すぎるよね、映像も音楽もまだ。プライベート・ライアンみたいな徹底した死への描写も重いものがあるが、その辺エヴァは結構よく描けていたような気がする。どうかな。死を美化すれば、同様にそれは黙認されるわけで、ただの「死」というように描くことを心がけなければ、死のむなしさは伝わらない。
この先、主人公たちがどのように戦争に対峙していくのかが楽しみ。それなりの形をもって向かってほしいが。さてどうなるか。

というわけで見てきました9巻!
陰謀の香りぷんぷん、なんか面白い展開になってきました。(をい。死を美化とかいっといてそれかい>ヲレ。)マリューさんちょっとふっ切りれたか。これからは主要なキャラクタがどのようにふっ切れていくのかというのが主な注目点になっていくのかな。楽しみ。新しい友情の始まり,みたいな? 次はアスランが迷いをどう解決するかが山なのかな。報われないのはイザークなような気がするぞ。彼のわだかまりは何処で解消されるんだ! 本当の名前を思い出して油婆にかけられた呪いから解放されるのか?!(激違)
人間アンテナなムウの隠された能力も不思議。ラクーゼさんひょっとして RFIC とか埋め込まれてません? 君と僕は運命の電波で結ばれてるんだ! なんて。ストーカかムウ。
史上最強といっていい戦闘兵器を手に入れちゃったキラはしっかりと自分の責任を感じているようす。ある意味「力と思い(意思)」を保持しちゃった彼はある意味神な訳で、彼が絶望して地球もプラントも全滅させるという驚愕の展開もあるのか。これが鬼頭莫宏ならやるぞそれ。もう絶望の段階は超えたように見えるからまぁそれはないだろうけど、イデオンとかね、原作者に前科あるかな。
もう一人の「力」を持つアスランが、どのように「思い」を抱き展開するのかがやっぱりこれからのみどころ。アスランパパって失策して悲しく去るタイプじゃないですか。親に力がある息子って自立するのも大変。(元)婚約者はお尋ね者になっちゃったし。まじめなタイプは大変だぞぅ。