蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

ウィーンとライカの日々(田中長徳/日本カメラ社)

★★★
ウィーンにはゆかり深く、チョートク氏の8年には及ばないが、それでも、合計で1年近く暮らしていた。ウィーンは僕にとって複雑な街だ。一番最初に訪れたときには、祖母と母との壮絶な争いがあり、まだ小学生だった私は疲れ果て、同時に街が嫌いになった。暗くて陰険な街に思えた。二度目に訪れたのは中学生のときだったか、既に祖母はなく、カメラを携えた私はあちこち歩き回って撮影を楽しんだ。高校の時にも確か1回、訪れたと思う。カメラはリコーからニコンのNew FM2になっていたはずだ。携行したのはおそらく35mm F2.0 Ai-S、 50mmは確か持っておらず、代わりにタムロンの24-40mmズームを持っていったように思う。それと105mm F2 Ai-S。タムロンのズームはいまいち像が甘くて、好きになれなかった。このころにはビールも飲めるようになり、ドイツ圏ならではのおいしいビールを楽しんでいた、と思う。大学時代にはいまの妻と半年に及ぶ長期滞在をした。それなりに楽しい日々だったと思う。ウィーンには母がいる。いろいろと複雑な関係を僕と母は持っており(と僕は思っている)、いまだに解消されていない。ウィーンでの滞在が長かったため、僕は随分一人であちらこちら歩き回った。裏道から裏道に抜け、撮影をして歩き、時にはオペラやミュージカルの立ち見に通った。ウィーンは、それ単体では非常に魅力的な街だ。長い栄光の時代のあと、停滞の時が訪れ、今では過去の街となってしまっているが、堆積した時間そのものが街を形作っていて、街の陰影が大変に深い。歴史ある田舎街(なにせ西側世界のはずれだ)である分、外国人に対する妙な劣等感や差別感、アジア人への露骨な侮蔑感などを持つが、同時に国際社会であったために外国人慣れした一面もある。しかし僕にはさらにそこに母がおり、もはや街そのものと切り離せないくらいに強い影響をもっている。ウィーンは素敵な街である一方、母の街という意味で重く憂鬱な街なのだ。
というわけで、チョートクの写真集は懐かしく(街並みなど)、楽しく(写真機だらけで)、憂鬱だ。また行きたいなぁ。ビアホッフのビールを飲みたいなぁ。でも、こっそり行きたいなぁ。そういう街だ。ウィーン。

ウィーンとライカの日々

ウィーンとライカの日々