蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

講書つづき

最近集中して本を購入した。ちょっと財布に糸目をつけていないという感じであるが、それはあくまで僕の財布としては、という程度の話。しかも購入しているのは森博嗣本ばかりである。今日は大船のコーナンに入っている教文堂にて「ミニチュア庭園鉄道」および続巻を入手。長らく探していたので手に入ってうれしい。中公新書ラクレ自体が普通の書店であまり見かけない上に、あまりに趣味性の高い内容の本なので、ひょっとしたら絶版かもしれない、とひそかに思っていた。さっさとWEBで調べれば分かるのだが...いまBK1をのぞいてみたら、出荷2〜3日となっているから、まだ絶版にはなってない、いやそれどころか、3巻目も出ていることを発見。これはまた、探索の楽しみが出来たというか、本は書店で買う主義なので、ネット購入はなるべくしたくないのだ。本との出会いは苺一重、じゃなかった、一期一会である。出会ったときが買い時である。それを逃した場合、何年も探しつづけることになるわけだが、それもまた楽しみ。
そういえば、高村薫の「神の火」(ISBN:4106027267、現在は絶版か。文庫版は入手可能)の初版、というよりも改定前の版も長らく探している一冊である。改定前と後とどちらも読んでいるが、改定前の版は高村自らが読んでいてナニが言いたいのかまるで分からないと言っているように混乱の見られる内容であるのだが、それだけにテキストから溢れるものが多く、魅力がある。改定後の版では多分高村にこの作品を書かせた情念とか情熱とか、とにかく熱いものが剥がれ落ちてしまっていて、つまらない。改定後の版を読んでから、改定前の版を入手しておかなかったことを後悔し、以後古書店などに寄った際には探してみることにしている。きっとそのうち、BookOffの100円均一棚ででも発見するだろう、と思ってからはや10年くらい経ってしまった。でも、積極的には探さないのだ。見つからないものを、あえて追わない、それが僕の性質なのだと思う。それはそれでいい、ということにしている*1

*1:もっとも、一度スイッチが入ると今度は見つかるまでいても立ってもいられず、街を徘徊することになる。そうした両極端、熱しやすく冷めやすい性格も併せ持っている。