蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

参った

新しいレンズをつけて意気揚揚と田んぼへ行き、作業の合間にちょこちょこ写真をとってきたのだが、あまりのひどさにがっかり。いや、レンズでなく、自分。ホワイトバランスの調整は省くわ、逆行の為の補正は省くわ、構図は滅茶苦茶だわ、もう見られたものでない。そしてまた自分の文章。最近ろくな文章を書いていないし書けなくなっている。理由は多分二つだ。

  1. 文章を書かなくなった
  2. 何も考えていない

駄目じゃん。考えずに書くことが出来ればそれはもういい意味か悪い意味でイっちゃっているのだろうけど、あいにくそんなことはないから文章はいっかなまともなものにならないのだ。
しかし、頭を使うのって疲れるではないか。そう、体をつかうよりも、頭を使うことは疲れる。人間の歴史は、いかに頭を使わないかということを追及してきた歴史だ。合理化簡略化省略省力して、無駄なエネルギーを使わずに生きることが出来るように努力した結果だ。つまり、その結果の最先端、トップでブレークしているところに俺はいるのだ。いや本当、頭を使わないことって素晴らしい。楽チンである。何の悩みもない。頭なんて使わなくても、仕事も生活も順調に流れ流れて日々の記憶すら曖昧である。明確な記憶など持つとまたこの記憶がストレスになるから、そんなものも持つ必要はないわけで、とにかく、いや俺素晴らしい! サイコー!
と、自己正当化しようとがんばってみても虚しい。もっと頭使おうよ。目の前のもの、少し考えてみようよ。そう、自分に言ってみたりする今日この頃。