蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

日本文藝家協会のGoogleへの抗議

日本文藝家協会がGoogleへ抗議文を出しましたね。筒井康隆さんや、保坂和志さんなど、個人的にそのあたりの方の意見を聞いてみたい。まぁ、それはともかく。
僕もまだ、自分の考えがまとまりきっていませんが、新しいメディアが生まれる時って、大抵それ以前の文化をぶち壊すものです。グーテンベルクが印刷機を開発して、後のプロテスタントたちが聖書を生産したときだって、戦争に近い状態になっている訳で。今回のGoogleの一連の計画って、そういう内容を含んでいると思うんですよ。既に善悪を論ずる事の出来るような、ローカルなレベルを超えてしまっている気がします。この技術をどう自分たちが正しいと思う方向に「使うか」を真剣に考えるべきだと思います。
ただし、Google側の手続きの強引さ、日本風に言えば不躾で礼を欠いたやり方についての怒りには、共感出来る所があります。そこはIT屋と作家との、文化への理解、意識の違いが大きくすれ違っている部分として現れた断層の様なものだと思いますし、また、Googleの背後に見えるアメリカ文化の若さや、グローバリズムへのたまりたまった怒りも、今回の和解へ流れ込んで、怒りの炎を大きくしているのではないかと思いますね。実のところ、現在日本の出版業界が感じてる問題は、Googleがやっている事よりもやり方、プロトコルへの問題であると感じられます。筋を通せよ、と言いたくなる所、多数ありますね。
でも、いちいち筋なんて通していたら、160カ国に及ぶベルヌ条約加盟国の、しかも個々の著作権保持者に対して、何をどう筋を通せと言うのか。僕はそういう感覚も持っているのですよ。オプトアウトという方法しか、やりようがなかったというのは、仕方なく感じられる。その上で、上に書いたように礼の問題や説明責任の問題はあると思いますが。
やり方はともかく、「Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです。」と、世界をDB化する事を自ら“使命”と言って憚らない訳で、その徹底した活動は一貫していると思うんですよね。それはビジネスを超えた、Googleの理想、理念だと理解しています。この、盲目的な理念こそ、若い国アメリカらしいところだし、彼らだからこそなし得る事であると思います。
ブック検索をビジネスモデルとして設定(いずれ絶版本のデータへのアクセス権を販売したりすることに)したのも、(もちろん、儲からなければ経済活動でない訳なんだけど、それとともに)著作者へのある意味正当な評価を考えているともとれなくもない(違うだろうけど)。<この辺、とりあえず思った事を述べているだけなので、考え方はいずれ変わると思います。僕。
経済活動に直結するスキャン行為を、フェアユースだ、と言い切ってしまうのも違和感が大きいと言えば大きいのですが、少なくとも今回の和解で、米国内では書籍のDB化〜検索可能化はフェアユースだということでまとまったのだから、日本発で一つ米国にNPOでもでっち上げて、そこで同じような活動をするのもありなんですよね? 国で出資して、日本の著作物を高品位なデジタルデータのアーカイブにするか出来る仕組みを作ってさっさと全世界にオンデマンド・データ配信したっていい訳だし。それをGoogleに“使用させる”手だって無くはない。
とにかく、のんびりと憤慨したり悲観したり悲嘆したりしている暇はないと思います。クールに次の手を考えて別の方向か、先を走る事を考えた方が良いと思う今日この頃。この件、しばらく追いかけます。

日本文芸家協会の声明文は、和解案が重大な内容であるにもかかわらず、日本での通知が一部新聞などに広告を1回掲載しただけだったことを指摘。「信じられないほどの日本の著作権者に対する軽視。相談窓口も設けられていない」などと、同社の姿勢を批判した。

 同協会では、「全世界の著作権者を米国の法律・手続きで拘束することは極めて不当」と反対の立場を示しているが、著作権者の利益を考慮して和解案には応じる方針。その上で、作品データの削除を要求するよう会員らに薦めている