蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

格差社会論考

内田さんのブログから:

格差はつねに存在し、私たちは(意識しようとしまいと)そのつどすでに私が所有しなければ違う誰かに属していたはずのパンをおのれの口に咥えている。これは動かしがたい事実である。けれども、人間を差異化する根源的なカテゴリーはパンの有無によって決まるのではない。差異はたまたま自分の口にあるパンについて「私にはそれを占有する権利がある」と思っている人間と、「私にはそれを他者に贈与する権利がある」と思っている人間の間に引かれている。

格差社会についてなにか云う前に、読んでおくべき文章かと。
以下は引用からは隔たっちゃうんだけど、僕の中では繋がっている。
僕は格差社会の解消方向としては、北欧の「トータルでは貧しいけれど、社会保障内で生きていける社会」ではないかと思うのだけれど。コンセンサスは得られにくいだろうな。貧者の救済を考えたとき、限られた原資の中でどうするかと考えれば、トータルの成長を抑えつつも下降を防ぐ方向を模索するしかないのではないか? 成長のために必要なコストは社会全体から回収するか、帝国主義的に「外」から調達するしかないと思うが、コレだけ世界が狭くなるとその「外」もたかが知れている。外から調達してきた原資を使い果たした先は外もろともの破滅だ。
地球は小さくなっちゃった、としか言いようがない。成長を目指すのではなく、どうやって老いるかを考えるときに社会が来ていると思う。
米を作ろう。畑を拓こう。地元の友達を大切にしよう。そういうことじゃないの?