蝸牛日記(Pseudomenos版)

嘘ばかりの日記です

20220123

雑記、あるいは覚書

この2年間、どれだけ常軌を逸したところに自分があるか、自覚はしてきた。多分、強く意識していないだけで、相当苦しいのだろう

家族には負担も迷惑もかけてきた。妻の信頼を燃やしきって、11年になる

話しをしたい、手を振れたい、街を歩いていて前を歩く初老の夫婦の夫君が、そっと、だが、何度も妻君の背に手をやる姿をみていて、またあのようなことが出来るかと思う、もう最近は、それは難しいかもしれないと諦めている

小さな、でも無視の出来ない物欲を、抑えては開放し、とりとめもなく流されて借金も重ねてきた

幾晩も深酒しては明け方に帰宅する、体力も気力も消費しながら、また、飲みに行く

本は、本は買うことを躊躇わぬようたがを外した、外すことを自分に許した。他愛のない書籍たち、読み切れる量でもないのに、また、棚に積む

水漏れの止まらない水栓、いい加減部品を手配しなければならないのに、なぜか、出来ない 塗り直さねばならないベランダ、いつまでも塗料を買わない

面白い、と思うことが無くなってどのくらい経ったのかな。少なくともここ2年、アウトプットする楽しみや労力に対して、どんどんと消極的になった。立てない。立ち上がる気力がない、ことを自分に認めている

目と鼻の先の海に、足を向けられない

あれだけ好きだったのに

疲労感に溺れている、溺れることを自分に許して、疲労感を消費している

小学校4年だか5年のころ、両親が離婚した後、中1をやり直すまでの数年、言葉すら出なくなった、別に、と常に口にしていたあの頃の、あの気持ちが、50を目の前にまた、繰り返している

もうリセットの効く歳ではない、と思いつつ、それすら自己弁護に過ぎないと思う、リセットの効かないことなどないのに、リセット自体を無理だと放り投げている

燃え尽きることなど簡単で、それは常に自分が自分に許す行為でしかなく、いまおそらく、自分はそれを許している、燃え尽きるなんていう陳腐で安直な言葉で言い訳している

さて、どこから始めようか

もう一度、始められるかな、こんな長い言い訳を綴りながら

COVID-19

行きつけの喫茶店

マンボウが始まってくれて、常連さんを待たせずにご案内出来るようになったことが嬉しい」

そんなカウンターの中からの声を聞く。そういう考え方もある

町から観光客が減った。こころなしのんびりしているし、喫茶店も確かに空いている。駅前のExcelciorも昼時なのに空席がある

世間がのんびりするのは嬉しい。同時にこれではやっていけないだろうな、と考える。金は天下の回りものだが、天下が回らなければ金も回らないのは道理だ。まだまだ続くであろう状況を、今日明日のように語ることに意味がない

この冬はNorthfaceとPatagoniaの新作ダウンジャケットをよく見かけた。金はどこで動いているんだろう。動かなかった分、こうしたところへ出てきているのか、それとも、もともとそんなものだったのか

週刊金曜日の見出し「日本だけ賃下げ」。書籍の業界を見ていても、企画がコスト理由で通らず見積もりの再発、再再発を求められることがこのところママある。同先生の他の書籍と比べると単価が高くなるのでなんとか下げたいというが、その他社はおそらく刷り数自体が異なっている

電子コミックなどで利益をもっている大手に、中小版元が値段で太刀打ち出来るわけがない。揃えようとすること自体に意味があるのか。ないと言い切れるなにか理由は持っていないが、自分は好きな作家の本であれば、そして読みたければ財布を開いてしまう方だ。世間様はそうではないのだろう

書店に行けば新刊はいくらでも出てくる、そのような乱造を、いつまで続けるんだろう。月に数万、書籍代を払ってはいるが、冒頭に記したように自分の経済観念はオタク的な崩壊をしているので、比較にならない。世間一般からすれば、当たり外れの分からない商品に、そんなに金は注ぎ込まない(注ぎ込めない)はず

ならば中小版元の目指すところは、安く、しかも広告費をかけて売る本でなくて、高くても長く売れる本、だと思うのだけれど、それでは食えないのだろうな

雑誌集配システムに乗っかり、バブル期の感覚のまま運用し続けてきた刊行システム、いよいよ末期に思える

ADHD

この日記なようなものを見返してみてもおそらく顕著だろう、自分はADHDの気が強いと信じていて、日常生活に困難はないが、日常業務では困難を感じる、というのも、一つの業務、作業を集中してこなすことが苦手で、ある作業中メーラを見てはこちらが急ぎである、これもしなくてはと、その都度中断して他の仕事を始めてしまう。だから、急ぎの仕事は至って得意な方で、それは後を追われている中で、他のことをしている余裕がなく、そのために発生してしまう擬似的な集中力のようなものがうまく働くのだろう。結局効率ということに尽きるけれど、効率を呼ぶような道筋だった物事の運びが自分はひどく苦手なのだ。そういえば高校の友人で、時間が前後して描かれる映画を一緒に見に行った際、過去現在と行きつ戻りつする表現が彼には難しく筋を追えなかった、とこぼすのを聞いたことがある。私にはそんな困難はそこにはまったくなく違和感もなかったのでそういうものかと思ったが、きっと会社の同僚から見た私は、このときの彼のようなもので、なぜこれが出来ないのかという感覚なのではないかと思う。天性なのではないかと思うが、ごまかすことだけはなんとか出来てきているので今日まで生き延びてきたが、最近自分は能力がない、あるいはおかしいのではないかと悩むことがしばしばあって、今日風呂に入っていて急に腑に落ちた。メモ代わりに記しておく

購書、入手した本

昨日手に入れた本:

以上が新刊。『早朝始発の殺風景』については、いま、文字にして打っているうちになんとも言えない違和感に襲われ、目次を見てパラパラ本をめくってみて、既読であることがわかった。タイトル作、メロンソーダ、などのキーワードにそこはかとない覚えがある。おそらく単行本のときに図書館で借りて読んだのではないか

『ミステリは万華鏡』は、北村薫氏の本を四半世紀かかってようやく読み始め、円紫さんと私シリーズ2作目を読んでいる途中である昨日購入。〜と私シリーズが面白くて仕方なく、2冊めであるところの『夜の蝉』を読み終わってしまった今日、このエッセイを買っておかなければ即死だった

森薫の『SCRIBBLES 1』は、本人による同人誌のような、要は落書き集。妄想の断片が描き留められており、楽しい。濃いファン以外は買わないだろうが、そんな人達のことを考えて刊行するような本ではない。B6判の、いわゆるコミックサイズ版が目についたから買ったのだが、ワイド版が出ていることをいま知った。知らなければよかった。いずれ買わざるを得ないかもしれない

生活考察Vol.08

生活考察Vol.08

  • タバブックス
Amazon

こちらは雑誌。存在自体を知らなかったがたらばブックスレジ脇の新刊を差してある移動棚で発見した。円城塔海猫沢めろんの名前を見て、紙面のレイアウトを見て購入を決定。うっかりこのまま読まない、というのがよくあるパターンだけれど、先程まで風呂で読み始めたらば面白く、あたりだった。しばらく楽しめそうだ。リソグラフ印刷機がほしい

密林で古書を購入した。これは『空飛ぶ馬』を読んでいて引用されていた本で、早々蔵王に行く話…、読みたくなって調べて取り寄せた。諸九は、〜と私シリーズで正ちゃんが紹介しているように、江戸時代に不倫・駆け落ちをして九州から大阪まで逃げ、不倫相手が亡くなってからは尼となって句作を続けた。不義密通即死罪という時代に、何度も故郷と関西を往復し、あまつさえ芭蕉の足跡をたどって東北にまで赴いており、これが面白くないわけがないと即購入を決めた。犀のマークの本が届くとそれだけで嬉しい

鎌倉図書館の登録抹消本。まれにこのようなきちんとした本が放出され、大喜びで頂いてくるが、読むかどうかはまた別の話だ。ゴミと消えることを考えると忍びなく、せめて保護してあげたいものである。ピンチョン、副本ではないと思うのだが捨てちゃうのか。ムガル帝国誌の方も、大航海時代叢書をちゃんと入れていたのか、リクエストで1冊だけ購入したのか不明。1冊だけの放出であったので、おそらく後者か。こういう本を収めておけなくて何が図書館かと思うが、県の中央図書館にこそ置き、地方図書館はもっとライトな本で、ということなのかもしれない。ひたすらに場所を取るわけだから、何もかも置けないのは分かる… が、寂しい

ピンチョンは、密林にちゃんとしたリンクがなかった。これを底本にした、2011年刊行の単行本の方を頂いてきた